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生ビールのおいしさを広めた、日本初のビヤホール【サッポロビールのこだわり】
サッポロのおいしさを、あなたのもとに
サッポロビールは、ただひたすらに理想のおいしさを追求しています。また、「お酒は、人生を楽しく豊かなものにできる。」と信じ、新しい発見をお届けすることで、お客様を笑顔にする一番身近な存在であり続けたいと考えています。
そんな“サッポロ”が、おいしいをお届けするために辿ってきた「サッポロビールのこだわり」をご紹介します。
▼「サッポロビールのこだわり」の過去の記事はこちら |
テーマ12|生ビールのおいしさを広めた、日本初のビヤホール
今回は、ビヤホールの歴史について注目します!
1899年、「惠比壽ビヤホール」は現在の東京・銀座にオープンします。日本初となったビヤホールは、工場直送の生ビールを味わってもらいヱビスビールを宣伝するという画期的なアイデアで誕生しました。当時はまだ高価だったビールですが、工場直送の生ビールが飲めるとあってビヤホールは大繁盛となりました。
1934年に誕生した「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」は今なお当時の姿で現存し、昭和初期のレトロな雰囲気が楽しめる現存する日本最古のビヤホールです。
■日本初のビヤホール誕生
日本初のビヤホールとなった「恵比壽ビヤホール」は1899年(明治32)8月4日、現在の東京・銀座にオープン。日本麦酒の社長馬越恭平のアイデアで誕生したビヤホールは、ヱビスビールの宣伝が目的でした。工場直送の出来立て生ビールを味わってもらい、そのおいしさを知ってもらうためだったのです。
(1906年(明治39)ごろの恵比寿ビヤホール外観)
■”ビヤホール”という名前の由来
日本初の新型店の名前選びには、英語に詳しい日本人や外国人の知恵を借り、宣教師の意見で「ビヤサロン」と一旦は決定しました。しかし、あるイギリス人に、宣教師は上品なサロンをイメージしているようだが、横浜あたりではサロンといえばいかがわしい場所。店名には相応しくないので、ホールのほうがよい、とのことで「ビヤホール」に決まったのです。
(1905年(明治38)ごろの恵比壽ビヤホール店内)
■大入り大繁盛で、宣伝も商売も大成功
ビヤホールはわずか40坪の広さでしたが、店内は入口左側にカウンターを設け、ニッケル製のスタンドを設置し、床はリニリューム張りと当時としては斬新な装いでした。ビールはガラス製ジョッキ半リットルで10銭で、当時はまだ高価だったビールですが、工場直送のおいしい生ビールが飲めるとあって、新しいもの好きの江戸っ子はもちろん、遠方からも馬車でやってくる方がいるほどの大繁盛。初日225リットル、2日目245リットル、3日目450リットルを売る好調さで、開店1週間からは1日1,000リットルも売れる日もありました。
(恵比寿ビールのジョッキ)
宣伝目的のビヤホールは、売上げも好調で商売にもなるという一石二鳥の成果がありました。ただ、お客の不満が一つ。当初のつまみは西洋に倣いスライスした大根だけで、ラディシュのつもりだったようですが、これが不評でした。その後、蕗や海老の佃煮にしたところ、大いに受けたといいます。こうしたおいしい生ビールを楽しめる場づくりが、日本にビール好きを増やし、ビールを広く浸透させていきました。
(ビヤホールの人気を伝える新聞記事(1899年9月4日付「中央新聞」))
■現存する日本最古のビヤホール
1934年(昭和9)4月8日に誕生した「ビヤホールライオン銀座七丁目店」は、今なお創建当時のままの姿を残す”ビヤホールの殿堂”。入口正面のビール麦を収穫する婦人たちを描いたガラスモザイク大壁画をはじめ、照明や柱、壁など店内各所は美しい装飾で彩られ、昭和初期のレトロな雰囲気を味わえます。銀座ライオンの伝統技術と徹底した品質管理で提供する最高の生ビールを求め、毎日全国のビール好きが集まる、知る人ぞ知るお店なのです。
(ビール麦の穂をイメージした矢尻型の天井装飾)
「恵比壽ビヤホール」をルーツとするサッポロライオン社は、「銀座ライオン」や「YEBISU BAR」など、ビヤホールをはじめビヤレストラン、和食居酒屋、ビヤバーなどさまざまなブランド店舗を全国に展開。「恵比壽ビヤホール」の思いを継いで、おいしいビールと食事、それを楽しめる場が今も提供されています。
(ワインぶどうをイメージしたカラフルな照明)
■まとめ
日本初のビヤホールは、「ヱビスビール」の宣伝を狙ってオープンされたという歴史がありました。工場直送の生ビールをお客様に届けたいという想いが、脈々と現在も受け継がれているのですね。
「サッポロビールのこだわり」はまだまだ続きます。