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“半ドン”って知ってる? 一コマ漫画で見る、 80年代の意外で当たり前な「いちきゅうはちよん」  

「1984」という数字を見て、あなたは何を連想するだろうか? ジョージ・オーウェルの『1984』か、それとも村上春樹の『1Q84』あたりを思い浮かべる人が多そうだが、実はサッポロビールの「SORACHI 1984」というビールにも、「1984年」という年が大いに関係している。この記事では、そんな1980年代に起きた出来事や当時の情景を追体験するべく、ゆるいタッチとシュールなユーモアで人気のおほしんたろう氏に、昭和末期のあるあるを1コマ漫画で描き下ろしてもらった。身近な年長者は「昔は良かった」と言うが、本当にそうだったのか? そして昭和末期には、令和の今とはまったく違う常識や異なるブームがあったのだろうか? この機会に「1984年」を、我々と一緒に“ちょこっと”覗いてみよう。

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とりあえず生、が正義。

バブル前夜の1984年。日経平均株価は1月に初めて1万円の大台を突破し、日本は好景気ムードに包まれた。いや正確には「ついに来るのか? 巷の噂で聞いていた好景気は、今なのか!」との予感に包まれた。そのおかげか、夕方から繁華街はお酒を飲むサラリーマンで常にごった返していた。とはいえレモンサワーなどの酎ハイ類はまだ現在ほどメジャーではなく、同時に「個の尊重」という概念もなかった。いやあるにはあったが、今と比べれば段違いに希薄だった。それゆえ飲み方も注文方法もシンプルかつ豪快で、飲み屋に入ったら「とりあえず、生」と、人数分の生ビールを注文するのが鉄則。「最初の1杯は必ずビール」という不文律が、ほぼすべての大人コミュニティに浸透していたのだ。

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レトロブームの”レトロ”はこの時代のことらしいよ。

昨今の若衆が思わず「エモい!」とつぶやいてしまう「シティポップ」や「喫茶店のクリームソーダ」「赤ちょうちん」「インスタントカメラ」等々のレトロなカルチャーやアイテム。だがそれらも、1984年においては「ごく当たり前の日常」だった。シティポップのアナログ盤をカセットテープにダビングして、ステータスの象徴であるマイカーで恋人とドライブに出かけ、フィルムのインスタントカメラで撮った記念写真をDPE屋さんで紙焼きにする。そして出来上がった紙の写真アルバムを眺めながら純喫茶でクリームソーダを飲んだり、赤ちょうちんで1杯やるーーなんていうのは、今やると「若者らしい今どきなデート」のように見えるが、当時もそれが「今どきなデート」だったのだ。「流行やトレンドは回る」とよく言われるが、今はちょうど1周したタイミングなのかもしれませんな。

ネタ3.PNG

漢は命を懸けるんだよ、「待ち合わせ」ってやつにさ。

今となっては想像すらできないかもしれないが、当時は「携帯電話」というモノがなかった。そしてそんな時代だったからこそ、デートの最重要項目は「待ち合わせ」だったのだ。親の目を盗んで自宅電話でデートの約束を取り付け、当日は「〇〇前の公衆電話ボックス」「ハチ公」などの超定番シンボルを駆使して、なんとか待ち合わせに漕ぎつける。何らかの事情で待ち合わせ時刻に大幅に遅れてしまう場合は、相手がシンボル前で律儀に待っていてくれることを天に祈る以外に、できることはなかった。そして待ち合わせの不成立がきっかけで恋愛そのものが不成立となったケースも、決して少なくなかったという……。

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胸キュンしないドン、その名は、“半ドン”。

かつてジョン・トラボルタ主演の『サタデー・ナイト・フィーバー』という映画があった。なぜトラボルタがフライデーではなくサタデーの夜にフィーバーしたかといえば、この映画が公開された当時は「週休2日制」という概念がなく、勤労者が休めるのは基本的に日曜日だけだったから。それゆえトラボルタはサタデーのナイトにフィーバーするしかなかったのだ。

ひるがえってここ日本でも1984年、完全週休2日制を導入していた企業は6.7%でしかなかった。今や週休3日の会社も出てきたが、当時は土曜日も午前中だけは出勤するのが当たり前。しかしその日の午後からは休みになるため、土曜日の午前だけ出勤することは「半ドン」と呼ばれていた。ちなみに半ドンの「ドン」はもちろん壁ドンに由来するものではなく、オランダ語で「日曜日」を意味する「zondag」のゾン部分が訛ったものだ。

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トレーディングカードの先駆けって、”テレホンカード”かも。

1984年当時、恋人との連絡は自宅電話か、そうでなければ「公衆電話」を使って行われていた。そして電話ボックス内では「積み上げられた10円玉」という古式ゆかしい光景が消え、「テレホンカード」での通話に変わっていった時代だ。念のためテレホンカード(略称テレカ)とは何かということを説明すると、1982年に発売された「公衆電話をかけるためだけのプリペイドカード」である。で、当時から「どうせなら好みの絵面のテレカを買いたい!」「好きな子に電話するときは人気アイドルのテレカを使うと決めている!」などのこだわりをもって利用されていたが、一部のテレカは令和の今もコレクターに大人気。当時の限定テレカの未使用品には、超高額の値がつくこともある。テレホンカードは、もしかしたら現在の「トレーディングカードブーム」の先駆けだったのかも?

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伝説のホップ、“ソラチエース”誕生。

サッポロビールの「SORACHI 1984」の原料となるホップ「ソラチエース」が、北海道空知郡上富良野町に誕生したのも1984年。サッポロビールが品種登録した初めてのホップだったが、その強い個性ゆえか、当初は残念ながら日の目を見なかった。だが2007年頃から海外でクラフトビールブームが起こり、海外ブリュワーの間で「ソラチエース」は重宝されるようになった。そんなホップが原料として使用され、35年の時を経て日本で作られたビールが、2019年に誕生した「SORACHI 1984」だ。唯一無二の香りと料理とのペアリングが特徴のこのビール、「とりあえず、生」みたいな勢いでとりあえず、飲んでみてほしい!

「SORACHI 1984」のブランドストーリーをもっと知りたい方は、こちら。

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プロフィール

おほしんたろう

九州を拠点に活躍するお笑い芸人・漫画家。1コママンガを書籍化した「おほまんが」(KADOKAWA)や学校での出来事を描き下ろしたマンガ集「学校と先生」(ナナロク社)発売。現在、「バリはやッ!ZIP!」(FBS)、「かちかちPRESS」(サガテレビ)、「福岡に音楽番組をつくりたい」(TNC)にレギュラー出演中。

Twitter:https://twitter.com/ohoshintaro?s=20

クレジット

illustration_Shintaro Oho

Text_Masayuki Tanitsu

Edit_Tenji Muto(amana)

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