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130年以上続けてきた、本物のおいしさへの終わりなき探求。 ヱビスビール、8年ぶりのバリューアップ!
1890年の誕生以来、ヱビスビールはプレミアムビールの先駆者として、そのおいしさを磨き続けてきました。戦争の影響でビールが配給品となり一旦途絶えてしまいましたが、1971年に復活。その後も味、品質の向上はもちろん、「ヱビス プレミアムブラック」や「ヱビス プレミアムエール」など多彩なラインナップを展開し、最近の「クリエイティブブリュー」ラインでは若手醸造家の自由な発想で新商品を生み出すなど、常に新たな試みに挑戦してきました。そして2024年4月、ヱビスビールが8年ぶりにバリューアップします。今回は、サッポロビール株式会社 ビール&RTD事業部の森川莉名さんに、より一層磨き抜かれた新しいヱビスビールの魅力についてお伺いしました。
130年以上磨き続けてきた品質へのこだわり
「ヱビスビールは、誕生から130年以上の歴史があるビールですが、時代に合った最高の『ヱビス』を常に追い求めています。日本におけるプレミアムビールの先駆けでもありますし、日本初のビアホールをオープンするといったことも行っており、創業当時から『新しいこと、初めてのこと』に取り組み続けています。常に日本のビール文化を切り拓き、ビールの可能性を拡げていくブランドでありたいと考えており、お客様にその時代のベストなヱビスビールを提供したい。これが今回の8年ぶりのバリューアップの目的であり、『ヱビスは何度でも完成する。』というのがブランドとしての姿勢です」
1889年(明治22年)に、東京府荏原郡三田村(現在の目黒区三田周辺)にレンガ造り3階建ての近代的なビール醸造所が完成し、翌年の1890年(明治23年)2月25日に「恵比寿ビール」が発売されます。品質へのこだわりのためドイツ人技師を招き、「日本一のビールをつくる」ことを目指してスタートしました。そして発売からわずか1カ月後には第三回内国勧業博覧会で「最良好」という評価を得ます。83品の出品中、「最良好」は2品だけだったといいます。また、1984年(明治27年)12月には「恵比寿黒ビール」を発売。麦芽の香りも高く、苦味の少ないミュンへンタイプの黒ビールは、しだいに人気を得ていきます。ビールの多様な味わいへの取り組みはこの頃から始まっていました。
「恵比寿ビール」が「恵比寿」という地名を生む
その後、1899年(明治32年)8月4日には、現在の中央区銀座八丁目に「恵比寿ビアホール」がオープン。ビールをメインに提供する洒落た飲食店は当時としては新鮮であり、横文字入り新聞広告が話題となりました。8月4日は現在、「ビヤホールの日」にもなっています。
さらに続く1901年(明治34年)には、「恵比寿ビール」の製造元である日本醸造会社からの要請に応え、工場の近くに貨物用の新駅「恵比寿停車場」が開設されます。これが現在の「恵比寿駅」の原点となりました。「恵比寿で作られているから恵比寿ビール」なのではなく、「恵比寿ビールがあったから恵比寿という駅名が生まれた」というわけです。その後「恵比寿」は駅名だけではなく「恵比寿通り」といった地名にも使われるようになり、現在は渋谷区に「恵比寿、恵比寿西、恵比寿南」という町名があります。企業のブランド名が駅名、地名になったという稀有な例なのです。
こちらは“ヱビスマガジン”の記事です。