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アリゾナの砂漠で”地酒”を作る日本人醸造家

Arizona Sake Feature Image
「Arizona Sake」オーナーの櫻井厚夫さんと妻・ヘザーさん。後ろで遊んでいるのは、娘・アヤノさん(左)と息子・リクくん(右)Photography by Steve Craft

日本で生まれ育った櫻井厚夫(さくらいあつお)さんは、アリゾナ州の小さな砂漠の街、ホルブルックについて聞いたこともなければ、将来アメリカに移住しようと思ったこともありませんでした。酒造メーカーで働きながら、いつかは自分で醸造所を開きたいという夢を温めてきた櫻井さん。英語を教えるために日本に来ていたアメリカ人のヘザーさんと恋に落ちてから、彼の運命は急展開します。2009年に結婚した2人は渡米を決めるのです。

太平洋北西部で醸造所を開きたいと考えていた櫻井さん一家は、まずシアトルに居を定めました。誰一人知り合いがいない、サポートも得られないこの地で、櫻井さんはよそ者であることを痛感したといいます。それでも夢を諦めずに頑張り続ける櫻井さんに再び転機が訪れたのは、2015年に家族でヘザーさんの故郷、アリゾナに小旅行へ行った時のことでした。たまたま公園のベンチで隣合わせになった人と、子どもたちが遊ぶのを眺めながらおしゃべりをはじめ、何気なく醸造所を開くのが夢だと打ち明けた櫻井さん。その時「どうしてここでやってみないの?」と聞かれたことを今でも思い出すといいます。

その当時、櫻井さんは自分の夢に翼が生えて、最もあり得ない場所で大きく羽ばたくかもしれないと密かに思っていたといいます。赤の他人の思いがけない一言に、この妄想が現実になるかもしれないと感じた櫻井さん夫妻と3人の子どもたちは、アリゾナ州北部にある人口わずか5000人の静かな砂漠の街でありヘザーさんの故郷でもあるホルブルックに引っ越すことを決意したのです。

Arizone Sake Cactuses in Dessert
意外なことに、乾燥したアリゾナの気候は、日本酒の生産に適していたのです。
Photography by Steve Craft

2017年1月に「Arizona Sake(アリゾナ・サケ)」を立ち上げた櫻井さんは 、自宅ガレージで酒造りをはじめました。この地の乾燥した気候が意外にも酒造りに適していることはすぐに分かりました。「とても乾燥しているということは、雑菌が繁殖しにくいということです」と櫻井さんは説明します。「アリゾナの気候の中で造られる酒は、非常に純粋です」。それから4年の間に、Arizona Sakeの生酒「Nama」は、いくつもの賞を獲得しました。ブルーベリー、梨(なし)、桃のフルーティーな香りと、やや苦味のあるフィニッシュが特徴の、ほのかな甘みのある辛口純米吟醸です。Arizona Sakeは、2018年に日本で行われた「SAKE COMPETITION 2018」の海外出品酒部門で金賞を受賞、さらにその翌年には「Los Angeles International Wine Competition」の日本酒部門で金賞受賞という快挙を成し遂げました。「彼はものすごく努力したので、それが認められて本当に嬉しかったです」とヘザーさんは当時を振り返ります。

Sake Producing in Arizona
櫻井さんのお酒は3ヶ月かけて造り上げられます。 Photography by Steve Craft

日本には厳格に定められた伝統的な酒造りの基準があり、櫻井さんも1級酒造技能士を取得するためにこれを学びました。櫻井さんはこれらの伝統を踏まえた酒造りを行うと同時にその限界に挑み、第二の故郷となったアリゾナの水とカリフォルニア産の高級米を使って、アメリカらしさを表現しています。Arizona Sakeの人気商品の1つ「Navajo Tea Sake」には、アメリカの原住民であるナバホ族の間で飲まれている、グリーンスレッド(ひまわりに近い野生の植物)のハーブティーが使われています。ヘザーさん一家はナバホ族です。義父にこのハーブティーをお酒に使ってはどうかといわれた櫻井さんは、自分が情熱を傾けている日本酒と妻の先祖から伝わる味を1つにするというアイデアに夢中になりました。ナバホティーを使ったお酒を造ることは、ホルブルックでの生活にオマージュを捧げる最高の方法だと考えたのです。「アリゾナの大地でアリゾナの太陽を浴びて育つグリーンスレッドには、アリゾナのエッセンスが凝縮されていると私は思います」と櫻井さんはいいます。

「彼は私たち2人の存在を1つにしたのです」とヘザーさんは語ります。「私の文化と彼の文化の一部を掛けあわせて、とても美味しいお酒を造ったのです」

Arizona Sake Bottles
味や香り、スタイルも様々な日本酒と食事のペアリングの可能性は無限大です。
Photography by Steve Craft

これまでアメリカには、日本酒を造っている人は全くといっていいほどいませんでしたが、最近になって新しい醸造所が続々と現れ、個性豊かなお酒が出てきました。Arizona Sakeもその1つです。「アメリカの酒造りは、今ものすごく盛り上がっています。本当に素晴らしい、独創的なお酒を造っている人たちがたくさんいます」というのは、日本酒の品揃えをキュレーションし、お酒1本1本の背後にある物語を伝えるバーチャルポップアップ「The Koji Club」のオーナー兼店主のアリッサ・ディパスケールさんです。例えばニューヨーク初の酒造「Brooklyn Kura」は、純米吟醸にホップの香りをつけ、IPA(インディア・ペールエール:イギリスで定番のビールの一つ)を思わせる日本酒に仕上げました。ノースカロライナ州の「Ben’s American Sake」は、チャイティーに使われるマサラスパイスやハラペーニョの絞り汁などを使った缶入りの日本酒を販売しています。

「アメリカ人醸造家は本当に実験的です」とディパスケールさんは続けます。「より多くの人が新しい試みに挑戦するということは、より多くの革新的な酒が生まれるということでもあります」

伝統的な酒造りというしっかりとした基礎があるからこそイノベーションが生まれると櫻井さんは考えています。彼の製造工程は、水に浸した米を蒸し、麹を造り、酵母を加えて発酵させるという緻密な作業です。こうして出来た原酒を加工・濾過(ろか)し、瓶詰めしてラベルを貼り、最後に出荷します。1度に作れる日本酒は1000本。この工程の始めから終わりまで3ヶ月の時間を要します。完成した商品の大部分はアリゾナの酒屋やレストランに卸していますが、カリフォルニア、ハワイ、ネブラスカにも届けています。Arizona Sakeが造る「Nama」を初めて飲んだときのことを思い出して「すっきりとして果実のような澄んだ味わいでした」というのは、カリフォルニア州ユッカバレーにある「Wine & Rock Shop」の店長、クリスティン・マクラーレンさん。「あらゆる要素が調和し、互いを引き立てあっていました」

Arizone Sake Garage
日本の伝統から生まれ、アメリカで洗練されていった櫻井さんの日本酒の型破りなインスピレーションは、新天地であるアメリカの土地や文化から来ています。Photography by Steve Craft

特にアリゾナで小規模な商売をやっている人たちは、仲間の造り手をサポートすることに積極的です。櫻井さんがSAKEを提供しているフェニックスのタイ料理店「Glai Baan」のシェフで共同オーナーのキャット・ブンナークさんは、移民としてゼロからブランドを興した櫻井さんのストーリーに共感しています。「Glai Baan」は、ブンナークさんの故郷、バンコクのストリートフードを扱うお店です。彼女は、様々な食事を引き立ててくれる櫻井さんのSAKEが大好きだといいます。「厚夫さんのお酒を1本あければ、ありとあらゆる小皿料理を美味しく食べることができます」と彼女はいいます。「どんな料理でも大体間違いありません」

「Glai Baan」のバーを担当しているマクスウェル・ベルリンさんは、日本酒が幅広い料理に合う理由は、ニュアンスを感じさせる繊細な味わいにあると考えています。「厚夫さんのお酒は、本当にすっきりとしたきれいな飲み口で、ほのかな米の味わいがあります」と彼はいいます。タイレストランのメニューに日本酒が載っているのは意外かもしれませんが、一度トライしてみればSAKEとタイ料理が合うことにほとんどの人が納得するとベルリンさんはいいます。スパイシーで甘みと酸味を兼ね備えたバラエティ豊かなタイ料理の香りには「とても爽やかで、口の中をさっぱり洗い流してくれる」日本酒のようなお酒がぴったりだとベルリンさんは説明します。

日本酒愛好家の間では、日本酒が幅広い味や料理と相性が良いことはよく知られています。「日本酒は縁の下の力持ち。料理にとっては、上手に華を添えてくれるチアリーダーのようなものです」とディパスケールさんはいいます。ちなみに、櫻井さんのお薦めのペアリングは、チーズだというのですから驚きです。ここ数年でアメリカの日本酒輸入量は以前の数倍に増えました。しかし櫻井さんによると、日本以外の醸造所はまだまだ珍しいということです。アメリカの酒蔵は全部で20カ所前後。櫻井さんのような職人が造る日本酒の人気が高まってきたのは、単に物珍しさだけが理由ではありません。クラフト系のお酒や自然派のワインが普及したことにより、星の数ほどある小さな醸造所が放つクリエティビティ、飽くなき挑戦、起業家精神が注目されるようになりました。今やお酒を飲む人や販売業者は、材料の質だけにこだわるのではなく、どんな人がそのお酒を造っているかにも興味を持っているのです。

Arizona Sake
櫻井さん夫妻が3人の子どもたちを連れてホルブルックにやってたのは2015年のことでした。 Photography by Steve Craft

この仕事をしていて最も楽しいのは、日本酒への愛を新しいお客様と共有し、自分の夢を支えてくれた飲食業界の仲間と一緒に仕事をする、人と人とのつながりだと櫻井さんはいいます。ガレージからスタートしたArizona Sakeですが、2019年には自宅近くに醸造所をオープンしました。大部分はアリゾナ州で販売されているとはいえ、今では州を越えて出荷するまでに成長しています。櫻井さんは大事な商品を冷たいまま輸送できるようにしっかり断熱したお手製のクーラーボックスを積み込み、自分の車でレストランやバー、酒店に配達してまわっているのです。

櫻井さんは、自分のやっていることは芸術であると主張するつもりもなく、また業界のトレンドを変えようと思っているわけでも、事業拡大や業界変革を目指しているわけでもないといいます。カリフォルニア産の米やアリゾナ州のナバホティーといったアメリカの要素を取り入れることは、彼にとっては醸造をより興味深い体験に変え、アリゾナ産の地酒と自信を持っていえるような唯一無二の商品を造ることにほかならないのです 。「日本から完璧な米を取り寄せて酒造りをすれば、きっと美味しいといってもらえるでしょう。でも私は、アメリカ産の材料で美味しい酒を造りたいのです」

Arizona Sake Sign
Arizona Sakeは有名な高速道路、ルート66近くにあります。 Photography by Steve Craft

型破りのインスピレーションを新天地で見つけた櫻井さんは、様々な文化的な背景を持つ人々に日本のお酒の喜びを伝えるために、静かな対話を重ね続けているのです。

「彼のヤル気の源は、日本酒への愛と、結婚式などのお祝いの場で自分のお酒が使われるという喜びです」とヘザーさんはいいます。「私たちはホルブルックに住んでいます。ほとんど誰も訪れない街でしたが、今ではたくさんの人がArizona Sakeに立ち寄ってくれるようになりました」

この記事はSaveurのメーガン・チャンが執筆し、Industry Dive Content Marketplaceを通じてライセンスされています。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@industrydive.comまで。

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