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伝説のホップだけでつくったビール「SORACHI1984」をつなぐ者たちの物語<エピソード3~「醸造家」という仕事 前編~>
サッポロビールの育種家によってこの世に生み出されてから約20年もの時を経て海外で注目され、「伝説のホップ」とまで呼ばれるようになったソラチエース。当連載ではこのホップを用いてつくられた「SORACHI1984」に関わる人々を紹介しています。
3つめのエピソードとして登場するのは、醸造家の高尾龍之介。「SORACHI1984」を製造する仙台工場の醸造部でビールの中味づくりを担当しています。知っているようで知らないビール醸造のあれこれを語ります。
■ビールづくりの4つの工程を管理
――「醸造家」というと文字通りお酒の醸造を手がけるかたであるのはわかるのですが、具体的にお仕事としてどんなことをされているのか、その概要を教えてください。
高尾龍之介(以下、高尾):お酒の中味をつくるのが醸造部、醸造家の仕事です。ビールの場合は仕込、発酵、貯酒、ろ過といくつもの工程を経てつくり込まれていきますが、原料からビールの中味をつくるこれら一連の工程を計画、管理することを仕事としています。
――ビールづくりの各工程をもう少し詳しく説明していただけますか?
高尾:ビールは原料として、麦芽、ホップ、副原料を使用します。それらをお湯に溶かし、ビールに必要な成分を抽出し、甘い「麦汁」を製造する工程が「仕込」です。
ホップはこの仕込工程のなかで投入される方法が一般的です。
次に麦汁に酵母を添加して「発酵」という工程がはじまります。発酵工程では酵母の力を借りながらアルコールを生成し、同時にビールの香り、味に関わる成分を付与していきます。この発酵工程は7日間程度かかります。
続く「貯酒」工程ではビールの香り、味の熟成と炭酸ガスの溶解を進め、最終工程の「ろ過」では酵母などの固形成分を取り除き、ビールに磨きをかけます。これがビールの中味づくりの流れですね。私は各工程の担当者たちとともに工程を管理し、たとえば「SORACHI1984」をいつどのくらいつくるかといったような、生産スケジュールの管理も行っています。
――醸造部のお仕事をされてどれくらいになりますか?
高尾:2015年の入社以来、醸造部です。最初の赴任先は大分にある九州日田工場で、2019年から現在の仙台工場で「SORACHI1984」とも関わるようになりました。ノンアルコールビールの醸造を担当した経験もありますが、私はほとんどビール一筋ですね。
――ビールづくりに関わることになったきっかけは何だったのでしょうか?
高尾:就職活動では「自分の好きなものに関わることができる仕事に就きたい」という想いが強くありました。「自分の好きなもの」のひとつがビールで、ビールづくりに携われたら、すごくおもしろそうだと感じたことが志望のきっかけでした。ただ、大学で醸造や発酵を学んだわけではないですし、入社したときは「醸造」ということもよくわかっていなくて。ただ、「ビール会社だから技術系に入ればビールがつくれるだろうな」といった漠然とした状態でした。幸い、思った通りの部署に配属されて今に至ります。
■味や香りで評価が決まることの難しさ
――醸造家のお仕事において、難しさを感じたり、スキルが問われるのはどういう場面でしょうか?
高尾:醸造部は香味、つまり香りや味をつくる部門です。しかし、これはまさに人間の感覚で評価が決まる部分。思いどおりのものをつくるには、やはり経験値や技術力が問われます。香りや味については分析機器である程度の数値化ができますが、数値に出るものがすべてではありません。最終的には数値よりも、人がどう感じるかが大事です。醸造という工程を経てできあがるお酒の味や香りには、いろいろと複合的な要因が影響します。「これをすればこうなる」という因果関係がある程度はわかっているのですが、いつもまったく同じ、思いどおりの結果になるとは限りません。
そこで、試験や検証を繰り返しながら、試行錯誤を重ねることになります。そこが難しいところであり、醸造家としての腕の見せどころですね。
――それはつまり、開発担当のかたがレシピを作成されてそれ通りにつくるにしても、誰がやっても同じ味のビールができあがるわけではない、ということでしょうか?
高尾:レシピはあくまでもレシピであり、それをどのようにつくり込むかという詳細な部分については、工場に託されていて、工場の技術力が問われる部分ですね。工場によって微妙に状況が異なる部分もあり、各工場で最適な方法を採りながら、より美味しく高い品質のビールをつくることが求められます。
――そういえば、育種家の鯉江さんやフィールドマンの上本さんも、機械で計測できなくとも人なら感じられる香りがあると語っていました。やはり香りや味といった官能で最終的な結果が評価されるだけに、難しいものがありそうですね。
高尾:出来上がったビールは当然、分析値でも確認しますが、先ほども言ったように、最終的な判断は官能評価により行います。人が感じる官能面のすべてを数値として表せるわけではありません。なので、実際に官能評価することは大事ですし、官能評価をもとに工程を通してさらに磨きをかけるためには経験も大切な要素になります。
――工場でつくるとは言っても、測定値だけでは表せない部分が品質を左右しているという点で、自動車や電化製品を作っているのとは大きな違いがありますね。
高尾:醸造は酵母という生き物が関わる部分に奥深さとおもしろさがありますね。それが難しさに通じる部分もありますが、美味しいビールをより美味しくつくれたときは、醸造家としてやりがいと喜びを感じます。
■醸造家ならレシピからビールの味を予想もできる?
――ビールづくりにおいて経験を積むことで違ってくる部分にはどんなことがあるのでしょうか?
高尾:経験値により「勘どころ」が磨かれるのではないでしょうか。ビールの原料になる麦芽、ホップは収穫した年や産地により状態は微妙に異なります。また、酵母も生き物であり、いつも同じ状態ということはありません。これらの違いをこえて安定した品質をキープするにはそれ相応の難しさがあり、経験により難しさを克服するための勘どころが養われる部分もあると思います。
――醸造家としての経験を積むと、開発担当のかたから上がって来たレシピを見ただけで、だいたいの味や香りがわかったりしますか?
高尾:「こんな感じだろうな」という大枠は想像できるようになります。たとえばホップは原料の香りとビールになったときの香りが変化することがありますが、それはつくって、飲んで、「こうなるんだな」ということを体験していかないとわからない部分かもしれません。もっとも、開発担当者からレシピが届くときはレシピだけでなく、見本として製造された製品も届きます。工場ではそれをお手本にしてビールをつくるわけです。
――なるほど、ということは、最初のサンプルは工場ではなくて、開発担当のところでつくるんですね。
高尾:そうですね。工場での製造前に開発段階で製造されています。
――醸造するにはいくつもの工程があるとのことですが、たとえば思ってもないような味のビールができあがったりとか、何か失敗されたような経験はありますか?
高尾:ははは(笑)。間違いが起きないシステムがしっかりと出来上がっているので、思ってもいないような味のビールができあがるような失敗はないですね。
ただ、ビールづくりとは言っても1人でやってるわけではないですし、設備のメンテナンスやオペレーションなど、いろんな人たちが関わっています。そうしたみんなで協力して作るという面ではおもしろさもありますし、難しさもあります。
――年ごとに、あるいは時期によっても味や香りが違ってくることもある原料から、「いつ飲んでも同じ味」を生み出すことは醸造家たちのスキルと苦労があってのこと。後編では高尾がより「SORACHI1984」に特化した話を聞かせてくれます。ご期待ください。
仙台工場 醸造部
髙尾 龍之介(たかお りゅうのすけ)
2015年サッポロビール株式会社に入社。大分県日田市にある九州日田工場 醸造部に配属。それ以来、ビール醸造に携わり、2019年に仙台工場に移る。
(文=稲垣宗彦)