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ターニングポイントはクビ?
刺激が伝播する「超強炭酸ビール」をつくりたい
【HOPPIN’ GARAGE YADOKARI さわだいっせいさん】
みなさんの「自分にとって最適な場所」はどこですか。
たとえば、都会のど真ん中、タワーマンション、海のそば、森の中……人によってさまざまな考えがあるでしょう。
住まい方、働き方を中心にこれからの暮らしを考えるソーシャルカンパニー、YADOKARI株式会社。YADOKARIは「ミニマルライフ」「タイニーハウス」「多拠点居住」を通じて、暮らし方の選択肢を増やし、「住」の視点から新たな豊かさを定義し発信しています。
CEOのさわだいっせいさんは、「お洒落ゾーン・恵比寿」から、「海と山に囲まれる街・逗子」へ移住。会社をクビになった経験をはじめ、いくつかのターニングポイントを経て、自身の暮らし方・働き方を見直しました。
そんなさわださんの人生は、どんなものだったのかでしょうか。さわださんとビールのエピソードからひもといていきます。
会社をクビになったのに輝いていた!?
――さわださんのターニングポイントを教えてください。
さわだ:ふたつあって、ひとつは26歳のときに働いていた会社をクビになったこと。もうひとつは東日本大震災です。
――会社をクビに……!?どんな経緯だったのですか?
さわだ:ウェブ制作会社でデザイナーとして勤務していたときのこと。仕事に関して、自分ではできているつもりでも、会社が求めているものとは方向性が違うアウトプットをしていたことが多々あって。
そんなとき、社内で端っこにいた営業の部隊がにぎやかにわいわいしていて、それがとても楽しそうに見えたんですね。社内で気の合う同僚がそこには沢山いたので、その部署へ異動したい旨を上司に伝えました。
ただ、異動後は全く畑違いの場所で、「毎日、テレマ数百本」をノルマにされ、なかなか成果も出ず、やる気も下降していくばかり。そんな態度だから目標も達成しない。しばらくして、全社会議で大々的に、正社員から業務委託に降格を告げられました。あれはつらかった。涙をこらえて下を向いたまま、顔をあげられませんでしたね。
その後も相変わらず上手くいかず、その1ヶ月後に会議室に呼び出されて、社長と上司から「今日でクビ」と告げられました。
――今日でクビ……そのときはどんな心境だったんですか?
さわだ:それがね、当時の先輩、後輩たちによると、僕が会議室を出たときの顔がすごく生き生きとしていたらしいんです(笑)。何か良いことがあったのか? と。もちろんクビは悲しかったけれど、自由になれる! とうれしさの方が勝ったんでしょうね。
退職後はありきたりかもしれないけれど、自分探しのためにインドへ旅立ちます。詐欺師に遭遇したり、牛が道路を横断していたり、僕にとってはとにかくカオスな状態。
一方で、インドでは自分がしたいことを好きにやっている人たちがたくさんいました。僕は日本で閉塞感を覚えていたので、その光景に自由を感じたんですね。のびのびと、ありのままで生きていればいいのだと思うようになりました。
帰国後は、前職の仲間や友達が仕事を依頼してくれて、流れるままにフリーランスのデザイナーとして活動をスタートしました。前職の仕事は上手くいかなかったけれど、僕を信頼してくれていた人たちがいてくれたことは、ありがたかったですね。気づけば、恵比寿で家賃20万円ほどの家に住めるくらいの報酬を得られるようになって、その後結婚もしました。
――結果的にいい方向に転がったと。
さわだ:しかし、ここでもうひとつの転機・東日本大震災が起きます。僕はテレビの情報に頼るだけだったものの、津波で家が流される映像を見て、この先家を買ってローンを払い続けるのだろうか、そもそも都会に住むことでかかる高い住居費で家計を圧迫するのってどうなのか? と考えたんです。
まだまだ続くさわだいっせいさんのインタビューの続きは、noteにて♪
こちらは“HOPPIN’ GARAGE|note”の記事です。