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”老舗と革新が交差する唯一無二の街” 街でヨリミチ in 銀座vol.2 ―演出家 宮本亞門

東京の中心地に君臨する街、銀座。常に新しいトレンドを発信し続ける街でもあり、サッポロビールによる日本初のビヤホールが生まれ育った場所でもある。ブランド店や高級デパート、洗練されたレストランが立ち並び、高級で華やかなイメージを抱く人が多いだろう。しかし、一歩路地裏に入ると、銀座のもう一つの顔が隠されている。そんなメインストリームから1本曲がって”寄り道”をして、1歩踏み込んで”より未知”な魅力を発見したい。本企画では様々なジャンルで、銀座に馴染みのある人物にお話を伺い、銀座の”ヨリミチ”な魅力を語ってもらう。

★5985.jpg連載2回目に登場いただいたのは、新橋演舞場前の喫茶店で生まれ育ち、演出家として世界で活躍されている宮本亞門さん。インタビューの場所は、宮本さんの幼少期の思い出がある「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」にて、演出家としての原点であり、数々の思い出が息づく街「銀座」の”ヨリミチ”な魅力についてお伺いした。

銀座に生まれ、銀座の文化で育った。
“演出家”宮本亞門のルーツ

杉浦:宮本さんは銀座生まれ・銀座育ちとのことですが、幼少期に銀座で過ごされた中で、印象に残っている思い出はありますか?

宮本:私が生まれ育ったのは銀座七丁目。新橋演舞場の前で、両親が喫茶店を営んでいました。家の周りには芸者さんを乗せた人力車が行き交い、東京の中でもとりわけ独特な生活環境で育ちましたね。母は、銀座の老舗の女将さんやご主人、舞台関係の人と親しくて、私はコーヒーを配達する母の後をついて、よく銀座の街を歩き回っていました。

現在の銀座の街並みも美しいですが、当時は柳の木が並び、今とはまた違った趣がありました。何より下町のような活気があり、夜の11時ごろでも人で溢れかえって賑わっていたんですよ。ここ「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」も、通り沿いからでも人の声が響くほどの熱気で。それに比べると、今の銀座は静かに感じられます。当時の活気や勢いは、まだまだ戦後だったこともあり「自分たちで新たなスタートを切る!」というエネルギーに満ちていたように思います。

杉浦:他にも、昔の銀座の風景で記憶に残っていることはありますか?

宮本:思い出深いのは、金曜日に行われていた「音と光のパレード」。「花車」と呼ばれる、華やかな装飾や電飾で飾られた車が銀座の街を練り歩くんです。当時はまだアミューズメントパークのような場所もなかったので、そのパレードを見るために多くの人が集まっていました。銀座はとにかく華やかで、勢いのある場所というイメージでした。

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杉浦:「音と光のパレード」は当時サッポロビールも参加していて、さまざまなデザインの花車を走らせていたそうです。銀座育ちならではの経験をたくさんされていますが、それが演出家という道に進む上での影響があったのではないでしょうか。

宮本:もちろんあります。最も大きかったのは、すぐ隣には日比谷があり、さまざまな劇場や映画館が集まっていてエンターテインメントがすぐそばにある環境だったということです。劇場は予約制ではありませんでしたから、立ち見が出るほどぎゅうぎゅう詰めの状態で観劇していました。子どもだった私は「そこまでして大人が熱中して観ているものは何だろう?」と、人をかき分けて前のほうへ行き、興奮しながら舞台に見入っていました。それが、演出家を志すきっかけの一つでした。

また、東銀座の方へ行くと、三味線の音がよく鳴っていました。芸者さんたちが稽古をしている和の音が聞こえてくる一方で、ジャズの洋の音が流れていたりもする。そうした全ての舞台や音楽などの文化に興味津々だったことが、今の自分に繋がっていると感じます。

杉浦:その土地の風土や文化など、人それぞれ県民性というものを持っていたりしますが、銀座という地が、宮本さんに影響を与えた部分も多そうですね。

宮本:そうですね。当時の銀座は、西洋と日本のものが混じり合った新しくて贅沢な街でしたから、その「和洋折衷さ」は私自身に影響を与えていますね。

日本の文化で言うと、私は日本舞踊や茶道を習っていましたし、着物も好きでした。中学生の頃の夢は、茶道の家元になることだったんですよ。それを家元に話したら「随分大胆な考え方をお持ちのお子さんですね」なんて言われましたが(笑)。他に、日本美術の研究家にも憧れていました。

一方で、西洋の文化にも強く惹かれていて、西洋の本物を探求したいという思いがあり、「演出家を目指すなら、目標はブロードウェイ」と考えていました。母からも「一流のものを全て知りなさい」と言われ、その言葉に背中を押されるようにしてこの道に進みました。

伝統と革新のはざまで遊ぶ。
 “銀座流の愉しみ方”

杉浦:宮本さんが思う、今の銀座の魅力は何でしょうか?

宮本:老舗と最先端が共存している世界でも唯一無二の街であることです。銀座は、碁盤の目の街並みや広い道路、建物など、西洋の文化を丁寧に取り入れた最先端の街として発展してきたと思います。その精神は今でも受け継がれていて「ただ古いものを守るだけでなく、銀座だからこそできる新しい実験もしていきたい」という、“銀座なりの遊び方”を探りたいと思っている銀座の人が多い印象です。

例えば、ショーウィンドウの展示一つをとっても、銀座の品格を保ちながらも常に革新的な表現に挑戦することで、他の街とは異なる、銀座ならではの存在感を出していると言えますよね。

そもそも、日本の都市開発は、一歩間違えるとどの街も同じような景観になってしまいがち。街の歴史を大切にしなければ、どの街も似通ったものになってしまうため、銀座の人々はそうした状況に強い危機感を抱いていると感じます。

杉浦:銀座の人たちの他にない意識が、ひしひしと伝わってきます。

宮本:新しいものを取り入れることも大切ですが、守ることは大変なことでもありますよね。新しいビルを建てる方が利益になるかもしれませんし、土地の値段のこともあるでしょう。そうした中で、“老舗と最先端”という銀座の個性を守り抜こうとしている人々の存在が、とても心強く、嬉しく思います。

また、歴史的な建造物がなくなる時に悲しんでくれるのは、私くらいの世代よりむしろ若い人たちの方が多いと最近になって感じます。十分に便利な世の中になった今だからこそ、昔ながらの趣や、そこに込められた歴史、手仕事の温かさといったものに触れると、心に響く人が多いかもしれません。

良い意味での昭和の雰囲気や、一つ一つ丁寧に作られたものの価値といったものは、大切に残していくべきだと思いますし、「これは残した方がいい」という若い世代の声は、私たち上の世代にとって、改めて大切なことに気づかされる良い機会になるとも思います。

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杉浦:銀座の意外な魅力も教えていただきたいです。

宮本:銀座には、ひっそりと佇む神社が点在していて、それらを探すだけでも楽しいですよ。中には、ビルの屋上や建物の中などさまざまな場所にお祀りされているので、とても興味深いです。昔は地面にあった神社が、ビルの建設によって屋上などに移っていったという話を聞くと、いかにも銀座らしいと感じますし、神社を大切にし、無くさないという精神は素晴らしいと思います。

杉浦:実は、ここ「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」のビルの上にも、一般には開放されていませんが龍神様をお祭りしている神社があるのをご存知でしたか?

宮本:そうなんですか。知らなかったです。

杉浦:このビルが建てられた当初は地下に祀られていたそうですが、日枝神社の方からの教えで今は屋上に移されたそうです。スタッフが毎日欠かさずビールをお供えして、月に二度は榊を交換しているんです。

宮本:銀座には、そうした知られていないけれど大切な神社がいくつもあるんでしょうね。

杉浦:先ほど、「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」の昔の雰囲気を教えていただきましたが、もし思い出があれば教えてください。

宮本:「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」は、子どもの頃に父がよく来ていたんですよ。家に父がいないと大抵ここでビールを飲んでいて、母に「連れて帰ってきて」と頼まれてよく探しに来たものです。「お父さん、家に帰ろうよ」と言っても全然帰ろうとしなくて、「お前もここに座れ」と言われて、ジュースを飲んでいたこともよくありました。子どもながらにこの空間の雰囲気が好きだったので良い思い出です。そもそも、日本初のビヤホールを銀座にオープンしたなんてロマンがありますよね。

杉浦:そんな思い出があった上、「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」の歴史までご存知なんて、嬉しいです。

宮本: ここまで細部にまでこだわり抜いて本物感を追求した建物は、今の時代なかなか見られないですよね。現代の効率重視の考え方からすれば、無駄なことと捉えられてしまうかもしれません。今は、大量生産の既製品のものが当たり前になっていて、人間は全員が唯一無二なのに、服も建物も唯一無二のものが少ないというのが寂しい気がします。昔の方がみんな違う、ということが明確で面白かった。だからこそ、この銀座ライオンビルには心を惹かれるのかもしれません。

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粋と余裕が息づく街の未来へ
宮本亞門が想う“これからの銀座”

杉浦:宮本さんは普段、お酒は飲まれますか?

宮本:ええ飲みますよ。私の家は昔からヱビスビールを置いていて、父は「この味が良いんだ」と言っていましたね。そこから私もヱビスビールが好きになりました。ほどよい苦味で飲みやすく、それでいて深みもありますよね。

杉浦:ヱビスビールで印象に残っていることはありますか?

宮本:「他のビールではなく、ヱビスビールがある」という、上質で特別な存在であることを明確に打ち出したキャッチコピーが印象的ですね。ビールは“ぐびぐび”飲むイメージですが、このヱビスビールの場合、綺麗な薄いグラスに丁寧に注がれたビールを、上品に味わうイメージが浮かんできたんです。「ビールという飲み物も、時代と共に変わっていくんだな」と感じましたね。

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杉浦:そういう風に受け取っていただけて嬉しいです。ちなみに、銀座に飲みに来られることはあるんですか?

宮本:定期的に銀座の方と飲みに行きますし、そういう時は、やはり銀座の話題で盛り上がるんですよ。銀座は成熟した大人の街で、私にとっては自然体でいられる、安心感のある場所です。また、大きなお店も小さなお店もそこで働く人の温かいプライドのようなものを感じますね。

杉浦:幼少期から現在に至るまで、銀座と共に歩んできた宮本さんですが、今後銀座はどのように変化すると考えますか?

宮本:推測の部分もありますが、銀座という街はこれまで何回も危機があったのではないかと思います。モダンで粋な銀座で居続けるために、たくさんの人が尽力してきたはずです。今、東京には他にも魅力的な街が多いこともあり、格式が高すぎると人が離れてしまうかもしれない。

気さくな雰囲気を出しつつも、銀座ならではの品格を保つというバランスを取り続けているのだと感じます。今後も、銀座に行くと気分が高揚するけれど、同時にほっと落ち着けるような、余裕と遊び心のある場所であってほしいです。

杉浦:銀座に関係したメディア出演も多いかと思います。今後、銀座にまつわることで新しくチャレンジしたいことがあれば教えてください。

宮本:銀座の街で、いつか実現したい夢があるんです。それは、銀座四丁目交差点のど真ん中に盆踊りの櫓を建てること。これまで銀座の盆踊りは泰明小学校の中だけで行われていましたが、2024年に初めて松屋銀座さんのある銀座通り三丁目交差点で櫓が組まれて、その時は本当に嬉しかったです。

銀座四丁目交差点の4か所を通行止めにするのはかなり難しいらしくて、笑い話のように思われるかもしれませんが、いつかできたらいいなと。もしそこで盆踊りができたら、銀座の名店がそのとき限りの特別な屋台を出して、中心に大きな櫓を組み、歌舞伎や劇団などのエンターテインメントを繰り広げたいです。

杉浦:その夢が叶った時は、私も踊りにいきたいですね。では最後に、宮本さんにとって「銀座」とは何でしょうか?

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宮本:「粋と成熟」。大人が遊び心や余裕を持って楽しんでいる、そんな「粋と成熟」が銀座には息づいていると思います。私もまた、そうありたいな、とも思いますね。

▼宮本亞門さんの「街でヨリミチ」はいかがでしたか?

・記事で宮本亞門さんが飲んでいる「ヱビスビール」の美味しさの秘密を見る

▼本記事と同じ銀座が舞台のヨリミチ

・街でヨリミチ in 銀座 vol.1 ― お笑いコンビ 土佐兄弟

・気になるアノ人に街の魅力を聞く「街でヨリミチ」を見たい方はこちらからどうぞ

プロフィール

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宮本亞門
演出家。1958年東京・銀座生まれ。2004年には東洋人初の演出家としてオンブロードウェイにて 「太平洋序曲」を上演。ミュージカルのみならず、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎等、ジャンルを越える演出家として、国内・海外で精力的に活動している。

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杉浦若奈
2019年サッポロビール株式会社に入社。首都圏エリアで3年間のワイン営業を経験。2022年9月にビール&RTD事業部メディア統括グループに着任、ファンマーケティングを起点にCHEER UP!や公式ファンコミュニティSAPPORO STAR COMPANY、公式SNS等のオウンドメディアの運営を担当

クレジット
Photograph_Takeshi Sasaki
Text_Nana Tabara
Edit_Nana Tabara,Tenji Muto(amana)

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