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OTOAJITO:俳優の松重豊さんをお迎え♪

さまざまな作品に出演し、中でも大人気ドラマ『孤独のグルメ』の印象も強い松重さんですが、今回松重さんが監督・脚本・主演を手がけた『劇映画 孤独のグルメ』が全国公開されるとのことで、作品にまつわるお話から、音楽好きでもある松重さんの音楽ヒストリーや、最近注目しているミュージシャンなどを伺いました。

長崎県生まれ、福岡県出身の松重さん。初めて親に買ってもらったレコードは橋幸夫さんの「恋をするなら」という1枚。「子供心に、これは普通の歌謡曲じゃないっていう感じがしたんですよね。ちょっとファンクっぽいというか。当時、1歳か2歳くらいだったんでしょうけど、買ってもらうためにレコード屋の前で、ひっくり返って大泣きしたのは覚えているんですよ。」と話しました。このレコードを買ってもらったことがきっかけで、音楽を聴くことの楽しさを知ったそうです。

「恋をするなら」を手に入れたのは長崎県に住んでいた頃で、その後、福岡県に引っ越すと、友人など周りの人たちの影響でロックを聴くようになったそうです。「ディープ・パープルとか、ああいうハードロック系から入って、中2か中3の時にセックス・ピストルズが出てきたんですよ。思春期なんでね、最初は『お前、これセックスって書いちゃあぜ。セックスって…これ、知っとうや?』みたいな感じでした(笑)それで、レコードに針を落としたらすげえな!っていう。そこからどんどん激しい音楽を聴きたいっていう気持ちになりましたね。」

高校に入ると友人たちがバンドを始めるようになっていったそうですが、実は松重さんが通っていた高校には、俳優でロックバンド、ザ・ロッカーズでも活躍していた陣内孝則さんが先輩にいるなど、とにかくバンドのレベルが高かったんだとか。「そんな環境で、歌うところも、楽器を弾くところも無いので、俺が音楽をやるのは無理だと思ったんですよ。」そんな時に松重さんの進む道を決めたのが、映画監督・石井聰亙(現・岳龍)さんの存在。「石井聰亙さんは福岡から東京の大学に入って、ロック映画のようなものを撮られていたんですね。僕が一番影響を受けたのは、『狂い咲きサンダーロード』っていう映画なんですが、こうやってロックミュージックとロックミュージシャン、そしてそれを映画にするっていうことは、僕にも出来るんじゃないかなと思って、そっちにシフトしていきました。」

サンハウス、シーナ&ザ・ロケッツ、ルースターズなど、「めんたいロック」と呼ばれるバンドが出てきた土地で育ったことから、その流れを汲んだ映画を撮りたいと考えていた松重さん。「既成の価値観に対する反抗や、大人のルールに対する反発心っていうのがロックにはあるじゃないですか。今でも「ロックか、ロックじゃないか」っていうのは、僕が仕事を選ぶ上で、価値判断の基準になっています。」とも話しました。

大学に進んで上京した後、アルバイトをしていたのは下北沢。大学に通いながら、ラーメン屋でバイトをしていたんですけど、そこに同じ日に入ったのが(甲本)ヒロトだったんです。僕は映画が撮りたい、ヒロトはロックがしたいって言って、意気投合したんですよね。」と現在も親交が続く、2人の出会いを紹介しました。実は松重さんは、甲本さんに主演を頼み、映画を撮っていたそうですが、現像などで学生には大変な程のお金がかかり、頓挫してしまったんだとか。その失敗から映画監督は2度とやらないと思っていた松重さんですが、今回の『劇映画 孤独のグルメ』では、主演だけでなく、監督・脚本も担当。「当時『もう一生、映画監督やらない!』って言ったことを思い出したので、ヒロトにはエクスキューズするために連絡したんです。それで『もし良かったら、主題歌作ってくれない?』って逆にお願いして、作ってくれたんです。」と今回、ザ・クロマニヨンズが主題歌を手掛けたきっかけについても話しました。

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