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OTOAJITO:MONO NO AWAREのギタリスト、 加藤成順さんがご来店♪

東京都八丈島出身の加藤さん。幼い頃はよく海に行き、夏には泳いで魚を捕ったり、10メートル近くまで潜水することが出来たりなど、活発に過ごしていたそうです。楽器を始めたのは小学4年生の頃。「父親が少しだけアコギをやっていたのかな?それもあってか、突如お茶の水の楽器屋に連れて行かれて、好きなギターを選べっていう、よく分からない状況で、アコースティックギターを買ってもらいました。初心者セットの1万円くらいのギターでしたね。八丈島には、僕が高校に入る頃まで楽器屋が無かったんですよ。」

アコースティックギターを手に入れ、初めてコピーをした曲は、ポール・アンカの「Diana」。これも父から勧められた曲だったとのこと。「Fのコードが無かったので勧めてくれたんだと思います。この曲をひたすら練習して、半年後ぐらいに今度はジローズの「戦争を知らない子供たち」を教えてもらいました。これがFコードを初めて弾いた曲です。その後、一旦ギターを辞めてしまうんですけど、中学3年生の時にイケイケの友達が、僕がギターを弾けるのをどこかで知って、ビジュアル系のコピーバンドに誘ったんですね。『エレキギターを用意して!』みたいに言われて(笑)

ガゼットっていうヴィジュアル系のバンドの曲をコピーしたんですけど、難しかったんですよ。でも、プレッシャーから必死になって練習していたら、だんだんギターも好きになっていきました。」

MONO NO AWAREは加藤さんが大学生の頃に結成。高校で同級生だった玉置周啓さんを誘ったことがきっかけだったそうですが、それまでは玉置さんと一緒にバンドをやったことはなかったとのこと。

「気が強くないのがお互い似ていたのか、結構一緒にいて、よく話していましたね。彼は高校の時からオリジナルの曲を作っていて、僕にだけ新曲が出来るたびに聴かせてくれていたんです。それは高校を卒業してからも続いて、すごく好きだったんですけど、その時僕は島を出て、群馬にいたので、なかなかバンドをやろうって言えなかったんですね。周啓には『東京で活動しなよ』って言ったんですけど、一緒にやれる人がいなかったみたいで、最終的に僕が『一緒にやろう』って誘いました。」とMONO NO AWAREの結成について語りました。

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