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“故郷、札幌で知った「なぜ生きるのか」”街でヨリミチ in 札幌vol.5―武田真治

海鮮やジンギスカンなどのおいしいグルメ、心躍る観光スポット。旅先として常に人々を魅了する街、札幌。ガイドブックを片手に巡る定番の旅も楽しいけれど、この街の本当の面白さは、その土地を深く知っている人々の言葉の中に隠されているのかもしれません。そんなメインストリームから1本曲がって“寄り道”をして、1歩踏み込んで“より未知”な魅力を発見したい。本企画では様々なジャンルで、札幌に貢献する人物にお話を伺い、“ヨリミチ”な魅力を語ってもらう企画です。

連載第5回目は、俳優、タレント、サックスプレーヤーなどマルチに活躍する武田真治さん。最近ではYouTubeなどを通じて、北海道ツーリングなど北の大地の魅力も発信しています。そんな武田真治さんに、札幌の知られざる魅力について、CHEER UP! のメディア担当でもある杉浦若奈がお話を伺いました。

札幌で描いた夢。
北の大地から東京へ

杉浦: 17歳に上京されるまで札幌で生まれ育った武田さんですが、当時の札幌で思い出に残っていることはありますか?

武田:当時は、北海道と東京の距離感をずっと遠く感じていましたね。今でこそ札幌や北海道は「おいしいグルメ」や「リゾート地」として知られていますが、当時は憧れや素敵なイメージは今ほど強くなかったと思います。子ども時代を振り返ると、北国で暮らすことは今よりずっと過酷だったと思います。ドラマ『北の国から』のような厳しい環境がまだ残っていましたよ。

今ほど北海道出身の芸能人が多くない時代で、相撲界に千代の富士さんがいたことは本当に僕たちの誇りでした。「北国から芸能界へ」なんて、夢のまた夢だったんですから。

杉浦:そのような環境の中で、武田さんはどうして芸能界を志したのでしょうか。

武田:父は札幌テレビ放送で音響エンジニアとして働いていて、時々父の仕事場について行くことがあったんです。そこで、アイドルやグループを間近で見ることができました。その体験は、僕にとって大きかったですね。芸能人が、テレビという「魔法の箱」の中にいるおとぎ話の存在ではなく、自分たちと同じ人間なんだと認識できたことが、きっかけの一つでした。

そうして「芸能界で何かをやってみたい」という憧れが僕の中で湧き上がってきましたが、周囲や両親からすれば“ちんぷんかんぷん”で、「遠い世界で成功するわけがない」という思いが強かったと思います。

杉浦:芸能界への第一歩は、どのように踏み出されたのですか?

武田:「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に応募したところ、どんどん勝ち進んでいってグランプリを受賞することができたんです。その最終日にドラマの打診をいただいて。「君がグランプリを獲ったから声を掛けたわけではない。コンテスト期間中から、ぜひ君にお願いしたいと思っていた」と制作の方から言っていただけて、とても嬉しかったことを覚えています。

両親からは「1年後の高校卒業までは札幌にいて、その後東京の大学入学に合わせて上京してもいいんじゃないか」と言われました。でも僕は「今東京にいないと意味がない」と感じたんです。今ならSNSなどのメディアが発達しているので、地方に住みながら活躍する芸能人やアーティストもいますが、当時はそんなものはありません。雑誌『JUNON』で毎月紹介してもらえることも決まっていたので、「この1年が勝負だ」と思い、上京することを決意しました。そして、定時制高校に通いながら芸能生活がスタートしたんです。

故郷への回帰、そして再起。
武田真治を救った一言

杉浦:その後、またたく間に大人気となりましたが、体調不良などから一時北海道の実家に戻ったと伺いました。

武田:芸能人としての「武田真治」という「外側」だけが立派になっていったんですよね。一方で、中身は空っぽだった。つまり、仕事をしていく上で必要なスキルは身について、ものすごいスピードで夢を叶えてしまいましたが、「なぜ生きるのか」といったような人の核となる部分が抜け落ちていたんです。

その核となるものは、故郷や愛、そして家族や仲間です。これらすべてを犠牲にして仕事だけに全力を注いでいたため、体調を崩した時に踏ん張りがきかなくなってしまったんです。

誰のために、何のために頑張ればいいのか分からなくなると同時に、顎関節症を発症してしまいサックスを吹くこともできなくなってしまいました。「もう上手くいかないんじゃないか」とばかり考え、精神的に弱りきってしまい、北海道の実家に戻って仕事がある時だけ上京するという生活が一時的にありましたね。

杉浦:その苦しい状況から抜け出せたきっかけはあったのでしょうか?

武田:ふるさとにいる間に、これまでやってこなかった「人としてやるべきこと」を一つひとつ行動していきました。例えば、いろんな親戚に会いに行ったり、祖母の仏壇に手を合わせたり。

そんな時、大叔父が僕の悩みを一言で解決してくれました。当時、僕は顔も上げられないほど精神的に参っていたのですが、80歳を過ぎた大叔父は信じられないほど元気で。僕は彼に、「あの世ってどういう世界なのかな」と問いかけました。

杉浦:大変な時期があったんですね。

武田:すると、大叔父はこう言ったんです。「お前がどれだけ考えたって、死んでみたらきっと『それ不正解だったな』って思うよ。死んだあとのことは、死んでから考えろ。生きているうちは、生きることを考えろ」。北海道に生まれた人間は強いですよね。このシンプルで力強い言葉が、僕の心を救ってくれました。

それまでの僕は、「忙しい」を理由に、親戚のお葬式にさえ出席したことがありませんでした。振り返ると、自分のことばかり考えていたんですよね。ご先祖様がいなければ自分は存在しませんし、時々はご先祖様にちゃんと感謝しないといけないと思うようになりました。

杉浦:札幌を拠点に仕事に通ったこと自体も良かったのではないでしょうか。

武田:東京とは全く異なる、自然豊かなふるさとに身を置けたことは本当に良かったです。昔の仲間にも会うようになって、仲間が夏はバナナボート、冬はスノーモービルと北海道の地を思い切り楽しんでいて「僕も大自然と遊ぼう」と思うようになりました。海に浸かったり、雪と遊んだりすることで、一人の人間として、生き物としての僕がいかに弱っていたかが分かりました。そうして、体を鍛えるようにもなっていきました。

開拓者精神と四季が息づく街、札幌

杉浦:札幌の1歩踏み込んだ、ヨリミチな魅力を教えていただきたいです。

武田:ありきたりかもしれませんが、やはり「美しい四季」ですね。17歳まで札幌で暮らしていた頃は、正直少しうんざりしていました。雪はものすごく降りますし、冬と春の境目は道がぐちゃぐちゃで、生活するのも大変ですからね。

しかし、東京に出てきて、一年を通してあまり景色が変わらないのを見て、北海道の四季がいかに美しかったかを思い知りました。

杉浦:札幌の中で、特に好きな季節はありますか?

武田:こうなるともう全部ですね。春は緑や土の匂いがし始めるのが好きですし、夏もちゃんとからっとした暑さを感じる。秋の紅葉や冬の銀世界、それぞれの季節がちゃんと表情を見せてくれることが、魅力だと感じています。

――他に、札幌の魅力はありますか?

武田:やはり、多くの人が心に「開拓者精神」を宿していることですね。それぞれの人生で、それぞれの挑戦をして、自分の道を切り拓いている人が多いように思います。僕自身も、10代の頃に自分のやりたいことを考え、一度故郷を離れてチャレンジしてみて本当に良かった。自分自身の「開拓者精神」を信じたことが、今でも僕の大きな支えになっています。

杉浦:「開拓者精神」はサッポロビールで今でも大切に受け継がれているんです。北海道を開拓していく過程で『開拓使麦酒醸造所』を立ち上げ、ビールづくりの理想の地を求めて北の大地を切り拓いた人たちや、ドイツに渡ってビール造りを学んだ若者のDNAが今でも息づいていると感じます。

ところで、YouTubeでは北海道でのツーリング動画を度々アップされていますが、大人になったからこそ気づいた北海道や札幌の魅力もあるのではないでしょうか。

武田:たくさんありますね。北海道には梅雨がないので、春先にバイクで走ると本当に気持ち良くて、一番の贅沢かもしれません。札幌からは離れてしまいますが、富良野は真っ直ぐな道が伸びていてすごくツーリングしやすいんですよ。ラベンダー畑があったり、トウモロコシやジャガイモなどさまざまな畑がパッチワークのようになっていたりしてとても綺麗なんです。

杉浦:とても分かります。サッポロクラシックの原材料の一部は上富良野町で育ったホップを使用していて、私も最近畑に行く機会があったのですが、本当に景色が良くて気持ちがいいですよね。

武田:他には「エスコンフィールドHOKKAIDO」も良いですね。球場ですがアミューズメントパークのような場所で、フードコートや温泉、サウナもあって、野球観戦以外でも楽しめるので、ぜひ訪れてみてほしいです。クリスマスの時期には毎年音楽祭をしていて、北海道にゆかりのあるアーティストや地元高校の吹奏楽部が演奏を披露するのですが、僕も出演する予定です。冬の銀世界の中にぽつんと佇む、まるで海外のようなスタジアムで素敵な音楽を聴くことができるので、ぜひ足を運んでみてください。

冒険もビールも「生」で。
武田真治が語る、故郷への想い

杉浦:武田さんは、普段どんな時に、どんなお酒をよく飲まれますか?

武田:何でも飲みますが、やはりビールを飲むことが多いですね。夕食前に妻と1缶を半分ずつ飲んでいます。昔はその後ウイスキーを飲むこともありましたが、今は子育てもあってビールで終わることが多くなりました。他には、仕事終わりや頑張った後に飲むこともありますよ。

――サッポロ生ビール黒ラベルのどんなところが好きですか?

武田:まず、ラベルがかっこいいじゃないですか。この星が一つのゴールのようなもので、サッポロ生ビール黒ラベルを飲むと「今日も一日働いた」という気持ちになります。それに「丸くなるな、星になれ」というコピーも好きですね。

――「星が好き」と言っていただけると本当に嬉しいです。ちなみに、札幌でのお酒にまつわる思い出はありますか?

武田:北海道ツーリングは泊まりが基本で、同世代の仲間と飲むお酒は良いですね。子どもの頃は、おじさんたちが集まって飲む姿を見て「何が楽しいんだろう」と思っていましたが、この1杯が最高に楽しいんですよ。札幌の友人たちは職業もさまざまで、そういった仲間との肩肘張らない時間を過ごすには、ビールが本当にぴったりだなと感じます。

――今後、札幌にまつわることで何かチャレンジしたいことはありますか?

武田:先日チャリティー番組のパーソナリティーをさせていただいて、「みんなこんなに頑張っているのに、僕はまだまだだ」と痛感しました。もっと本気でふるさとに恩返しをしないと、と覚悟を新たにしたんです。札幌には、さまざまな形で恩返しをしていきたいと思っています。

――最後に、武田真治さんにとって「札幌」とは何でしょうか?

武田:札幌は僕にとって「原点」です。僕の生まれ育った場所であり、僕という人格が育まれた場所。そして、自分の心と向き合わないといけない時期に、ここに戻って心を整理することができました。思春期には東京に憧れましたが、今では札幌がふるさとで良かったと心から思います。最近、子どもが生まれて故郷に里帰りできるようになったことも、そう思うきっかけの一つです。

あと一つお伝えしたいのが、「冒険は生でするべきだ」と改めて感じています。今はSNSなどを使えば、あらゆることを一瞬で調べられますよね。行った気にもなれてしまう。でも、実際に足を運ぶことには、想像を超える価値があります。僕自身、これまで色々ありましたが、東京に飛び込むことができて良かった。その経験が、自分の人間力を高めてくれたと信じています。

北海道の澄んだ空気、豊かな緑、温かい人柄。頭では想像できても、現地でしか得られない感覚があります。ぜひ北海道に、札幌に遊びに来てほしいですね。

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プロフィール

武田真治

1972年生まれ、北海道札幌市生まれ。高校在学時に「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを受賞。ユニセックスなビジュアルで人気に。ドラマやバラエティー番組などでも人気を博し、サックスでの音楽活動でも知られ、マルチに活動している。

杉浦若奈

2019年サッポロビール株式会社に入社。首都圏エリアで業務用営業を経験後、2022年9月にビール&RTD事業部メディア統括グループに着任。ファンマーケティングを起点にCHEER UP!や公式ファンコミュニティSAPPORO STAR COMPANY、公式SNS等のオウンドメディアの運営やイベント実施を担当。

Photograph_Takeshi Sasaki
Text_Nana Tabara
Edit_Nana Tabara,Tenji Muto(amana)

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