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伝統と革新の融合が未来を創るーー 最高峰フレンチシェフが継承し、次代につなぐ味。
1890年、本場ドイツのおいしさを追求して誕生したヱビスビールは、ふりかえれば130年以上、革新を繰り返しながらも誰よりもビールの無限の可能性を信じ、たのしみながらビールの魅力と文化を切り拓いてきました。2024年からは「たのしんでるから、世界は変えられる。」というメッセージを新たに掲げ、その姿勢・信念をお伝えしています。そんなヱビスが共感した各界の方々にインタビューを行っていく本企画。第3回は、恵比寿にある「ガストロノミー “ジョエル・ロブション”」の総料理長を2021年から務める関谷健一朗さんにご登場いただきます。関谷さんは、2023年にフランス版人間国宝と称されるM.O.F. (Meilleur Ouvrier de France:フランス国家最優秀職人章)を受章。フランス人以外で初めての料理部門受章者となりました。ジョエル・ロブションという偉大なシェフのもとで、日本人として世界トップクラスのフランス料理の伝統を受け継ぎ、それをどのように革新し、次世代に伝えていくのかを伺いました。
好きなことを学んでみようと思い、料理師専門学校へ。
「母がいつも手料理を作ってくれ、それがおいしかったことと、中学生の時によく観ていた『料理の鉄人』などのテレビ番組の影響もあり、食べることと料理に興味をもつようになりました。好きなことをとことん学ぼうと決めて、大学ではなく、調理師専門学校に進みました。西洋料理を選んだのは、当時、塩と胡椒だけで食べたことのない味を表現することができる調理法だと感じたためです」
専門学校卒業後、千葉県にあるホテルに入社。仕事に慣れてきた頃に、休暇を取ってフランスを訪れました。リヨンの「ポール・ボキューズ」など名だたるレストランを食べ歩き、そこで衝撃を受けフランスで料理人として働きたいと強く思うように。ホテルを退職してフランス語の語学学校に通い、フランスに渡りました。興味や関心の強さを原動力としながら「では、次に何をするべきか」を冷静に見据えて準備し、大きな歩幅で一歩を踏み出す。そんな若き日の関谷さんの姿が浮かび上がります。
ジョエル・ロブション氏との出会い。
フランスでは、「ルカ・キャルトン」、「ル・グラン・ヴェフール」など、名だたるミシュラン三つ星レストランで働き、多くを学び、吸収した関谷さん。同時に、さまざまなレストランの味を体験しますが「ジョエル・ロブション」は別格でした。
「これは、まったく個人的な好みの問題なのですが、レストランで食事をいただくときに、どうしても “ここはもう少しこうした方が”などと、頭の中で少しずつ味を修正するということがあります。ところが、ロブション氏の料理では、それがありませんでした。僕の舌が、ロブション氏の料理にあっていたのでしょう」
手紙を送ると「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」に採用され、スーシェフ(副料理長)として約5年間働きました。
「ロブション氏は、常に高みを目指し、自分が定めたところに到達するまで決してあきらめない人でした。その向上心や、回り道をせず、合理的な近道を追求することなど、学んだことは数えきれません」
そろそろ次のステップに進みたいと考えていたところ、ロブション氏から東京・六本木の「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」のシェフを任せたいと打診され、日本に帰国することに。2002年、22歳で渡仏してから約8年後、2010年のことでした。
約6年間、「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」のシェフを務めた2017年頃、ロブション氏と2人で話す機会があったそう。
「ちょうど、「ガストロノミー “ジョエル・ロブション”」の総料理長が2代目から3代目に交代するタイミングでした。“実は僕も(総料理長を)やりたかった”と口にすると、ロブション氏に“何でもっと早くいってくれなかったんだ”といわれ、気がつかなくてすまなかった、とあやまられたのです。その時に、自分が日本人に戻ったと自覚しました。フランスにいた頃は、やりたいと思ったことは臆せず口にしていましたが、このポジションは代々フランス人が務めるものだと思い込んでいたこともあって、自ら立候補することは考えてもいなかったのです」
その後、2018年に「第52回〈ル・テタンジェ〉国際料理賞コンクール・インターナショナル」に挑戦し、日本人としては34年ぶりに世界一の称号を獲得。そして2021年、4代目の「ガストロノミー “ジョエル・ロブション”」総料理長に、日本人として初めて就任しました。
こちらは“ヱビスマガジン”の記事です。