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第4回:「ヱビスビールは当初予定では“大黒ビール”だったって、本当?!」サッポロビール社史相談室

(画像2)登場人物.png

<登場人物>

サッポロビール㈱社史相談室/社史原ノリ子

入社3年目。社史(会社の歴史)に関するよろず窓口。普段は社史室にこもって黙々と仕事をしているが、相談を受けるとノリノリになる。愛称はシャッシー。

サッポロビール㈱東京外食営業部/営業マン太郎

入社3年目。東京中を飛び回る営業マン。社史、特に自社商品の歴史に関する知識を身に付け、営業活動に活かしたいと考えている。シャッシーとは同期入社。愛称はマン太郎。

第4回:ヱビスビールは当初予定では「大黒ビール」だったって、本当?!

シャッシー!助けてくれ~!

(画像3)シャッシー驚き.PNG

どうしたの?マン太郎くん。

お得意先の飲食店の店長さんに、「ヱビスビールは、もともとは『大黒ビール』という名前にしようとしていたんだよね?」って言われたんだけど、これって本当?もしかして冗談?

本当よ。

えーーー?!まじで?

うん。まじで。

当初予定では「恵比寿ビール」じゃなかった?!

(画像4)初代恵比寿ビールラベル.PNG
発売当初の「恵比寿ビール」のラベル

それって、何かエビデンスはあるのか?!ヱビデンス!YEビデンス!

マン太郎くん。エビデンスの「エ」が、ヱビスビール(YEBISU BEER)の「ヱ」や「YE」になってるよ。

それくらいヱビスビールのファンなんだよ、俺は!

うん。それはわかった。で、エビデンスは、これよ!

(画像5)出品物変換願い.PNG
第三回内国勧業博覧会 出品物名変換願い(所蔵・東京都公文書館)

おおおー!全然読めない!

明治時代の古文書だからほぼ解読不能でしょ?現代文字に直したからこっちを見て。。

(画像6)現代文字に直したもの.PNG

これなら文字は読めるぞ。で、この文書には何が書いてあるんだ?

その前に問題でーす!「恵比寿ビール」の発売年は何年でしょうか?

それは知ってる。1890年!ヱビスビールの缶にも“BORN IN 1890,TOKYO”って書いてあるし。いつも自分は、ラベルのその文字見ながら飲んでいるからね。

(画像7)現在のヱビス缶.PNG
現在のヱビスビール350ml缶(“BORN IN 1890,TOKYO”と赤字で記載)

正解!マン太郎君は飲んでいるときも、そこに目を付けているとはすごいね!

まぁね~。

で、その1890年に「第三回内国勧業博覧会」が開催されたんだけど、その博覧会で、出品されたビール83銘柄の中から、「恵比寿ビール」は見事「最良好」の評価を受けたの!

え?発売されたばかりで、いきなり「最良好」とはすごいな!それから83銘柄っていうのもビックリだな。当時ビールの銘柄って、そんなにたくさんあったんだ。

うん。ビールは将来有望な産業とみられていたからね。日本各地に醸造所ができたみたいだよ。

現代のクラフトビールみたいだな。

それで、恵比寿ビールの醸造・販売元である「日本麦酒醸造会社」は、この博覧会に当初「大黒ビール」の名前で出品の申込をしていたの。

それは知らなかったな~!初耳!

うん。だけど「大黒ビール」は既にビールの名称として商標登録されていることがわかったため、1889年12月に「恵比寿ビール」への変更願いを、この博覧会の主催者である東京府知事宛てに出した、というわけ。それがこの書類。

なるほど。それで、大黒様から同じ七福神の恵比寿様に変更したというわけか。

この情報を見つけたのは神奈川県立歴史博物館

しかし、この話は当社の社史『サッポロビール120年史』 には載ってないよね?

(画像8)120年史表紙.PNG
『サッポロビール120年史』(発行:1996年3月 総ページ数:1009p)

そうなの。さすがマン太郎くん!『120年史』をしっかり読んでいるんだね。

まぁね~。

で、なぜ『120年史』に載っていないかというと、この本が発行された1996年時点では、この情報は見つかっていなかったからなの。

え?!そうなの?

この文書が見つかったのが、2005年。きっかけは、2006年に神奈川県立歴史博物館で開催された『日本のビール』という特別展示会。この展示会開催のために、同博物館の学芸員の方が、東京都公文書館で関連する史料を丹念に当たった結果、この文書が見つかったんだって。

ヱビスビール発売の1890年から115年経って判明した歴史の新事実というわけか!やるな~、神奈川県立歴史博物館!

この情報は、2006年の特別展示会で初めて公開されたの。展示図録『日本のビール―横浜発 国民飲料へ―』(2006年7月発行)にも、しっかり記載されているよ。

もしかしたら「大黒ガーデンプレイス」だったかも!

当初から品質評価の高かった恵比寿ビールは、1896年には1位銘柄になるの!

お~!そんなに短期間で日本のビール業界のトップに上り詰めたんだな。

その後も恵比寿ビールは拡大を続け、1901年にはビール運搬専用の貨物駅「恵比寿停車場」が開設され、さらに、1906年には旅客も扱う「恵比寿駅」ができた。それが現在のJR恵比寿駅ね。

(画像9)恵比寿停車場.PNG
ビール専用の貨物駅「恵比寿停車場」(開設:1901年)

ビールの銘柄名が駅名になったということだな。

そう。で、その後、駅周辺の地域は「恵比寿」と呼ばれ始め、それが定着していく。1928年には駅東側の通りに沿った一帯が「恵比寿通り一丁目、二丁目」に改称され、正式に地名にもなったの。

つまり、ビールの銘柄名が街の名前にまでなっちゃったっていうことだよね?

うん。「街の名になったビール、ヱビス。」って、広告コピーもあるよ。

でも、もし、当初予定通り「大黒ビール」になっていたら、恵比寿の街の名は大黒になっていたということだよな?

たぶん、そうなるね。

そうなっていたら、「恵比寿ガーデンプレイス」は「大黒ガーデンプレイス」だし、「YEBISU BREWERY TOKYO」は「DAIKOKU BREWERY TOKYO」だろ?

うん、そうかもね。

(画像10)YGP.png
「恵比寿ガーデンプレイス」(1994年開業)ここがヱビスビール誕生の地
(画像11)YBT.png
ヱビスのブランド体験拠点「YEBISU BREWERY TOKYO」(2024年4月開業)

大黒ガーデンプレイスに、DAIKOKU BREWERY TOKYOか~。う~ん、大黒って、なんかしっくりこないな。

たしかに。

いずれにせよ、ビールも地名もヱビスがぴったりだ!
あ~、ヱビスでよかったーーー!それを祝して、ヱビスビールで乾杯しよう!

マン太郎くんは、何でもビールを飲みに行く口実にするね。

ばれたか。

(画像12)マン太郎メガホン.PNG

<バックナンバー>
「サッポロビール 社史相談室」

<この記事を書いた人>

山根 一洋

1987年サッポロビール㈱入社。ヱビスビールのブランドマネージャーなどマーケティング部門を歴任。ラッキーヱビスの生みの親。現在は広報部で、社史に関する記事執筆や社員教育などを担う。同時に、一般社団法人日本ビール文化研究会でビア検(日本ビール検定)の企画・編集主幹、ビールセミナー講師を務める。趣味のラジオCMコピー制作では、第7回文化放送ラジオCMコンテストでグランプリ&リスナー大賞など受賞歴多数。

<補足>

※このコラムに登場する人物や部署は実在しません。しかし、サッポロビールの社史に関する話は、事実に基づいたものです。

※イラスト:iStock.com/wakashi1515

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