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“ビール醸造拠点から街のランドマークへ、恵比寿ガーデンプレイス物語” 街でヨリミチ in 恵比寿 vol.3 ―サッポロ不動産開発 松下靖弘&須貝譲
誰もが一度は訪れたことがあるであろう街、東京・恵比寿。カフェやレストランなど新旧様々な飲食店が立ち並び、食やショッピングのスポットとして認知されている。しかし、サッポロビールと共に歩んできた歴史があるこの街の魅力を、私たちはまだ全て知らない。そんなメインストリームから1本曲がって”寄り道”をして、1歩踏み込んで”より未知”な魅力を発見したい。本企画では様々なジャンルで、恵比寿に貢献する人物にお話を伺い、恵比寿の”ヨリミチ”な魅力を語ってもらう。
連載3回目は、来年で開業30年周年を迎え、街のシンボルにもなっている複合施設「恵比寿ガーデンプレイス」に徹底的に迫るため、施設管理を担うサッポロ不動産開発の松下靖弘さんと須貝譲さんにインタビューを実施。恵比寿ガーデンプレイスの「過去」をよく知る松下さんと、「これから」を考える須貝さんに、CHEER UP!のメディア担当でもある杉浦若奈が、ヨリミチな魅力を伺う。
かつてはビール工場だった?
恵比寿ガーデンプレイスの意外なはじまり
杉浦:お二人は恵比寿ガーデンプレイスを管理する、サッポロ不動産開発に所属されていますが、お二人のお仕事について教えてください。
松下:私は1990年にサッポロビールに入社し、当時の不動産事業部に配属されました。主に、サッポロビールが所有する不動産の管理や有効活用などを行う部署ですね。2003年のホールディングス体制への移行に伴い、サッポロ不動産開発に異動になりました。
杉浦:入社以来ずっと、不動産と都市開発のお仕事をされてきたのですね?
松下:そうですね。飲料メーカーに入社したのに、今まで一度も飲料を売ったことがないのです(笑)。その後は、恵比寿ガーデンプレイスのオフィステナントの営業やリニューアルを担当し、まちづくり事業部とエリアリレーション部では恵比寿のまちづくりにも携わりました。ちょうど恵比寿ガーデンプレイスの開業に向けて動き出したタイミングで入社したので、入社以来何らかの形で恵比寿ガーデンプレイスと関わることが多かったですね。
杉浦:ベテランとして恵比寿ガーデンプレイスを見守り続けてきた松下さんに対し、須貝さんのお仕事はいかがでしょうか?
須貝:私は2013年にサッポロビールに入社しました。最初の5年間は北海道でビールの営業をして、その後は東京の広域流通本部を経験。2022年からサッポロ不動産開発で、恵比寿ガーデンプレイスの価値向上の取り組みやブランド戦略策定などを行っています。ブランディング強化についてプロジェクトチームを立ち上げ、「恵比寿ガーデンプレイスの価値を向上させるためには何が必要だろう。これから未来にむけてどんな価値を発揮すべきか。」ということを考え、メンバーと議論しています。
杉浦: これまでのガーデンブレイスをつくってきた松下さんに対し、須貝さんはこれからのガーデンブレイスを日々考えているのですね。そもそも飲料メーカーであるサッポロが、不動産事業を始めたきっかけは何だったのでしょう?
松下:はじめは、ビール工場の移転がきっかけですね。若い方はご存じないかもしれませんが、今ある恵比寿ガーデンプレイスはもともと工場の跡地に建てられたものなんです。明治時代から販売されはじめたビールは当時高価なもので、人口の多い大都市圏を中心に消費されていたようです。それと主な輸送手段が鉄道であったことから、サッポロビールは恵比寿をはじめ、大都市圏の近郊で鉄道輸送に適した場所にビール工場を建設し、都市部に物流倉庫や社宅など多くの不動産を所有していました。
周辺の都市化が進み、そこでの事業継続が難しくなった不動産の有効活用として、不動産事業に取り組み始めました。サッポロビールの不動産事業の第1号は昭和40年に新宿駅西口で竣工した星和新宿ビル(現:新宿エルタワー)です。その後もコンピューター専用ビルやスポーツ施設等の不動産開発を行ってきました。
ノウハウゼロでも、
“一つの街”のような施設をつくりたくて
杉浦:1994年に恵比寿ガーデンプレイスが誕生しましたが、その前の恵比寿は、どんな街だったのでしょうか。
松下:当時は素朴で、下町感あふれる街という印象でした。そもそもヱビスビールの工場があったことから恵比寿という地名が名づけられたこともあり、周辺にはビール工場や社宅、その協力企業、あとは住宅街が広がっている街でした。
山手線の駅としては珍しく人がたくさん住んでいる街で、駅前には女将さんが一人で営んでいる屋台があったり、人情味があって、地域に根ざしたお店が多かったですね。今の恵比寿のように、若い人たちのデートスポット、という雰囲気ではなかったですね。
杉浦:現在の恵比寿からは想像もできないですね。そんな街に恵比寿ガーデンプレイスをオープンし、街をどんな風に変えようとしていたのでしょうか。
松下:1980年代から東京都が進めていた「マイタウン東京構想」という計画とも連動しているのですが、今までの下町感溢れる街から、複合施設を中心とした“東京を代表する新しい都市”に変えていきたいと考えていました。また、サッポロビールは大型の複合施設をつくるノウハウなど無い状態だったので、大手商社やゼネコンさんなどの力を借りながら、都市構想や恵比寿ガーデンプレイス自体の構想を練り上げていきました。
杉浦:どんな構想だったのでしょうか。
松下:基本となるコンセプトは「水と緑の山の手情報文化都市」というものでした。単に商業施設やオフィスを中心とした再開発をするのではなく、敷地の半分以上を水と緑があふれるオープンスペースにする。そして人々が住まう住居も1000戸用意し、その周りに一流のレストランやホテルもある、といったイメージでしたね。
ただの商業施設で終わらず、緑豊かな広場やゆったり過ごすスペースも用意し、人々が心地よく暮らせる“一つの街”をつくろうとしたんです。そして、そこで過ごす人々の暮らしや心をサッポロビールの製品が支える、といった想いがありました。恵比寿ガーデンプレイスという名称も、「ガーデンシティ(庭園都市)」と「マーケットプレイス(商業施設)」という2つの概念を組み合わせた造語なんですよ。
杉浦:商業施設があるだけでなく“人がそこで暮らしている”からこそ、恵比寿ガーデンプレイスには温かみのようなものがあるのかもしれませんね。プロジェクトを進めるにあたり、大変なことはありましたか。
松下:私は直接担当していませんでしたが、地元の皆様にご理解を得ることが大変だったという声をよく聞きました。コンセプトをご説明しても、「恵比寿ガーデンプレイスにお客様が来てくれたとしても、帰りはスカイウォークを使ってそのまま駅に向かってしまう。地元商店へお客様が来てくれないのでは?」という危惧があったようです。根気強くお話させて頂くことでご理解いただき、なんとか恵比寿ガーデンプレイスのオープンに漕ぎつけました。
杉浦:オープンしてからの反響はどうだったのでしょうか。
松下:メディアが大きく扱ってくれたこともあり、連日たくさんのお客様が足を運んでくれて、すぐに恵比寿ガーデンプレイス、ひいては恵比寿という名が全国区になりました。また、恵比寿ガーデンプレイスに来たお客様は、そのまま恵比寿の街に繰り出す方も多く、地元商店へのシャワー効果も十分にありましたね。そうして、現在のような恵比寿という街全体が盛り上がっていった印象です。
施設づくりからまちづくりへ。
アップデートを重ね、私たちが知る恵比寿に
杉浦:すぐに受け入れられるようになった恵比寿ガーデンプレイスですが、その後どんな変化を重ねて、現在に至るのでしょうか。
松下:豊かな時間、豊かな空間をご提供するのが恵比寿ガーデンプレイスですから、オープンして数年経ったころから、上質なイベントを通じて施設のブランド強化と情報発信していこうという動きがありましたね。例えば開業5周年の際には、当時、恵比寿にお住まいの能の観世流宗家に来ていただき、センター広場で薪能(夜間、舞台の周囲にかがり火を焚き、その中で演じる能楽)を披露いただいたりしました。
あとは、今でもクリスマスの時期に展示されていて冬のシンボルとなっていますが、1999年からバカラさんと共同でシャンデリアの展示を続けていますね。これも上質なラグジュアリーブランドであるバカラさんの作品が展示されることで、恵比寿ガーデンプレイスで豊かな時間、豊かな空間を提供できると考えたからです。
杉浦:そういったイベントを重ねて、現在の恵比寿ガーデンプレイスのブランドやイメージが築かれていったんですね。
松下:その後、都心で大型再開発が進む中、施設単体から、エリア間での競争になっていきました。恵比寿ガーデンプレイスという施設の魅力を上げていくことはもちろん、「まちづくり」の視点も重要であることに気づきました。2010年に「まちづくり推進室」が開設され、地元の方々とより深いコミュニケーションをするようになり、「恵比寿文化祭」を共同で開催するなど、地域をあげて街の魅力を発信するイベントを実施するようになりました。数年前からは、恵比寿の企業や地元町会のみなさんとまちづくり勉強会を開催しています。
杉浦:そのタイミングから、サッポロビールと地元全体が協力して街を盛り上げていくようになるんですね。 街自体に変化はありましたか。
松下:そのころには恵比寿ガーデンプレイスの認知も定着し、安定してお客様に足は運んでいただける状況でした。それと共に街全体がどんどん発展していったイメージがあります。特に上質な飲食店が増えていったように感じました。恵比寿ガーデンプレイス開業時に出店した「タイユバン・ロブション(現ジュエル・ロブション)」のインパクトもあり、レストランを中心に飲食店が増えていって、恵比寿と言えばグルメな街というイメージが付いたんじゃないかと個人的に思っています。
杉浦:恵比寿の市場調査、来街者分析も担当されている須貝さんですが、そういった数々のアップデートにより、恵比寿ガーデンプレイスの来街者にはどんな変化が生じたのでしょうか。
須貝:松下さんの話のとおり、恵比寿ガーデンプレイスが竣工してから、恵比寿の街全体のにぎわいが増えてきたと聞いています。データ的にも、コロナ禍を迎えるまでは来街者が増えていて、来街者は比較的女性の割合が多いという傾向が出ています。2022年に商業棟の「センタープラザ」をリニューアルしたことで、それまでの百貨店にいらっしゃっていたお客様に加えて、若い世代のお客様がかなり増えたという印象がありますね。
オンとオフ、仕事と遊び。それぞれが混
ざり合い、新しい刺激や発見がある施設に
杉浦:数々のアップデートを重ねて、今の恵比寿ガーデンプレイスがあることがよく分かりました。振り返った時に、恵比寿ガーデンプレイスはお客様にとって「どんな場所」だったと思いますか。
須貝:かつては「ハレの日の特別感を感じられる場所」だったように思います。平日は一生懸命働いて、休日は心身をリフレッシュさせる、あるいは自分へのご褒美としてちょっと上等なモノを買ったり、ちょっと贅沢な食事を楽しんだりする。そうした、オフの特別な場所として恵比寿ガーデンプレイスをご利用いただいたのではないでしょうか。
杉浦:まさに思い描いていた利用のされ方ですね。恵比寿ガーデンプレイスは、今後はどういった施設になっていくのでしょうか。
須貝:以前はオンとオフが明確に分かれていましたが、これからの時代はその境目がなくなっていくのではないかと考えています。恵比寿ガーデンプレイスでも外のベンチでパソコンをいじっている人やカフェのテラス席で商談をしている人をよく見かけます。特にコロナ禍で働き方が急激に変化し、オンとオフの区切りがなくなってきているので、“オン”と“オフ”、“仕事”と“遊び”、“日常”と“非日常”が融合してシームレスに繋がっていくことが大事になるのではないかと考えております。
昨年、BLUE NOTE PLACEが開業しました。24年はYEBISU BREWERY TOKYOも開業します。東京都写真美術館やYEBISU GARDEN CINEMAなどの個性的な文化施設もあります。恵比寿ガーデンプレイスは普段触れることのできない刺激に触れられて、新しい発見が得られる施設にしていきたいと思います。
須貝:恵比寿ガーデンプレイスだけでなく、恵比寿の街全体に“働く人”がいて、“遊びに来る人”がいて、そして“住んでいる人”がいます。恵比寿は、ただただ商業的な発展や効率性だけを優先させている街ではなく、さまざまな要素が融合している稀有な街なんです。しかも、住んでいる人や街を歩いている人たちにゆとりを感じます。街自体がゴミゴミしていないですし、人もギラギラしすぎていないといいますか。
そういった恵比寿の独自性を活かしながら、「恵比寿ガーデンプレイスに来ると、いろんなものが混ざり合って普段とは少し違う世界が広がるよね」と言っていただけるような場所を目指したいですね。
松下:お客様からも「恵比寿ガーデンプレイスの良いところは、空が広い」というご意見をよくいただきます。確かにそれはそのとおりで、都心部にありながら、ここまで空が広いと感じられる施設は多くはありません。
そういった恵比寿ガーデンプレイスの素晴らしさと上質さ、そして恵比寿の街自体の素晴らしさを、須貝などの若い世代がお客様や住民の皆さまと一緒になってアップデートしていってもらえたら、長らく携わってきた私としても嬉しく思います。
杉浦:最後の質問になりますが、松下さんと須貝さんにとって「恵比寿ガーデンプレイス」とはどんな存在でしょうか。
松下:「プライド」ですね。家族にも友人にも絶対の自信を持っておすすめできる施設ですし、サッポロでずっと不動産事業に携わってきたのですごく愛着があり、自分の、仕事人生における“誇り”でもあります。
須貝:「ちょっとだけ自分が広がる所」です。恵比寿ガーデンプレイスのオープンスペースから見える広い空と、ゆったりと流れる時間の中に新しい刺激があって、ここで働いている僕自身の考えも広がる気がします。
【“恵比寿で生まれた”ヱビスブランドが気になる方は、こちらを見る】
プロフィール
1990年、サッポロビール株式会社入社。不動産事業部で管財や社宅他社有地の開発事業等を担当後、2003年、ホールディング制に伴いサッポロ不動産開発株式会社(当時:恵比寿ガーデンプレイス株式会社)にてテナント営業、リニューアル企画などを担当。
2013年、サッポロビール株式会社入社。北海道エリアと首都圏での営業職を経て2022年4月、サッポロ不動産開発 企画部に。恵比寿ガーデンプレイスのブランド戦略策定と推進、市場調査や来街者分析などを担当。
2019年サッポロビール株式会社に新卒入社。首都圏エリアで3年間業務用のワイン営業を経験。2022年9月にビール&RTD事業部メディア統括グループに着任、現在はファンマーケティングを起点にCHEER UP!や公式ファンサイトSAPPORO STAR COMPANY、公式SNS等のオウンドメディアの運営を担当している。
クレジット
Photograph_Mikako Yagi
Text_Masayuki Tanitsu
Edit_Tenji Muto(amana)