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100年の時を超えて家業のウイスキーブランドを復活させた男
ウイスキーメーカーの「J.リーガー& Co」は、1920年の禁酒法施行により廃業を余儀なくされました。しかし、約100年後の2014年、アンディ・リーガーが自分の祖先が始めた由緒あるブランドを復活させただけでなく、今では蒸溜所が拠点を置くカンザスシティ自体の活性化も実現しようとしているのです。
アンディ・リーガーの5世代前にあたるジェイコブ・リーガーは、1887年に「J.リーガー& Co」という名のウイスキー会社を創業しました。その後同社は米国最大のウイスキー販売会社に成長しましたが、1920年に禁酒法が施行されると閉鎖を余儀なくされたのです。それから約100年、アンディがカンザスシティのエレクトリックパーク地区にイベントスペースを併設した約1万平方メートルの蒸留所を建設し、この歴史あるブランドを復活させました。こうして祖先が立ち上げたブランドと多くの人が諦めかけていた地元地域に復興の新しい命を吹き込んだのです。
そのアンディ・リーガーに「J.リーガー& Co」復活のお話を聞きました。
100年近く前に私の一族が所有していた、カンザスシティ中心部にあるレンガ造りの3階建てホテル「リーガーホテル」がリニューアルオープンしたことを知ったのは2010年のことでした。このホテルは、1900年代初頭に始まったカンザスシティの開発期に、多くの旅商人や鉄道作業員、旅行者などが宿泊した歴史あるホテルです。時期を同じくしてガンで他界した生前の父は、リニューアルオープンの話を聞いて、リーガー家がオープニングに参列して一族のサポートを表明しなければならないと話していました。
そのオープニングイベントで出会ったのが、のちに共同創業者となるライアン・メイビーです。ホテル内にある新しいバーの立ち上げに尽力したライアンは、私の一族が経営していたウイスキーブランドを再興して、このバーで打ち出してはどうかと誘ってくれたのです。当初は、いいアイデアだとは思いましたが、自分も関わりたいとは思いませんでした。
当時はダラス在住で、投資銀行で順調にキャリアを積んでいたからです。それでも、アドバイスはさせてもらいました。どうせやるなら「オリジナルと同じくらい大規模にやろう!」ということで、事業計画を練り直し、ウイスキー通販のビジネスモデルを作るお手伝をさせていただきました。地元カンザスシティのクリエイティブエージェンシーも巻き込み、「O! So Good!」のロゴなどモダンに解釈した「J.リーガー& Co」のブランディングを一緒に作り上げていったのです。
今は妻となった当時のガールフレンドは、父が私に「立派な理由がない限り、カンザスシティに戻ってくるな」と話していたことを知っていました。そして、『J.リーガー& Co』再興に打ち込む私を見て、「お父さんがいっていた“立派な理由”って、このことだと思う」といったのです。そのひと言で私たちは2014年にダラスを離れて地元カンザスシティに戻り、フルタイムでこの「J.リーガー& Co」復活の事業に取り組み始めました。まずは、個人投資家から100万ドルを調達し、資金は株式と借金が半々という形でスタート。カンザスシティの歴史的地区にある約1400平方メートルの建物を2500ドル(約35万円)で借りてウイスキーづくりに取り掛かったのです。
「メーカーズ・マーク」の成長を支えた蒸留のプロ、デイブ・ピッケレルの協力を仰ぎ、「J.リーガー& Co」のウイスキーを現代に蘇らせました。100年前とまったく同じウイスキーにするつもりはありませんでしたが、よく似たブレンドを採用しています。伝統的にウイスキーといえば、何年も寝かせてから瓶詰めするものですが、これはビジネス的には最善の方法とはいえません。
そこで私たちはハイブリッドな製造法を選択し、異なる蒸溜所で造られたウイスキーにシェリー酒をブレンドするという独自のスタイルを編み出したのです。シェリー酒の添加は、1800年代後半から1900年代前半に盛んに行われていた製法です。禁酒法前の「J.リーガー& Co」も、自社でシェリー酒をブレンドしていました。
この製法を復活させた理由は、ウイスキー造りの伝統を振り返りつつ、この現代において自分たちだけのオリジナルウイスキーを作るためです。私たちはこのウイスキーをただ単にウイスキーと呼ぶのではなく、「カンザスシティスタイルウイスキー」と呼ぶことに決めました。最終的に、この名称が政府によって正式に認められると、他の蒸留所も独自のカンザスシティスタイルウイスキーを出すようになりました。
うれしいことに事業は大成功し、起業5年目にはカンザスシティのエレクトリックパーク地区に蒸留所とバー&イベントスペースを持つ新しい拠点をオープンすることができました。この辺りには以前カンザス初として知られる遊園地がありましたが、今ではすっかり寂れてしまい、地元ミズーリ州によって産業振興地域に認定されています。
つまり、ここでビジネスを行う私たちには、地域の活性化というミッションも課せられているのです。私たちは社屋を歴史的建造物に登録し、連邦政府によるさまざまな税控除、歴史的建造物に対する税控除、雇用奨励金、売上税奨励金などを受け、500万ドル(約6.9億円)以上の節約に成功しました。文字通り見捨てられた地域で、私たちは最高レベルの開発プロジェクトを成し遂げているのです。
最初に仕込んだ樽が昨年6年目を迎え、瓶詰めの準備が整ったので、満を持して「リーガーズ・ボトルド・イン・ボンド・ストレート・ライ・ウイスキー」をリリースしました。これは、禁酒法施行以来カンザスシティで蒸留された最初のウイスキーとなりました。さらにはウィートウォッカ、ドライジン、カフェアマーロも製造しており、今では米国内の28州と海外4カ国で販売しています。
歴代の一族が共有する価値観や歴史を基盤にもつウイスキーブランドを復活させ、私たちだけでなく、カンザスシティの街全体にとって重要な意義を持つ事業を展開できるということは、とても光栄なことです。
私たちは、歴史と伝統を遵守しながら、同時にこの古く廃れた街を復興させるための努力を続けていいます。この事業を通じて私が学んだ最も貴重な教訓は何かと問われれば、それは真の誠実さと細部へのこだわりを大切にする限り、夢は必ず実現できるということです。
この記事はInc.のブリット・モールスが執筆し、Industry Dive Content Marketplaceを通じてライセンスされています。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@industrydive.comまで。