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スペインで最も有名なワインの名産地、リオハを旅する!

スペインで最も有名なワインの生産地、リオハは、オークの香りが特徴の重厚な赤でその名を知られていますが、新しい感性を持った次世代の生産者たちも増えてきているのです。

左:リオハ最古のワイン農園の一つで、フランク・ゲーリー設計のホテルがある「マルケス・デ・リスカル」。右:ビリャブエナ・デ・アラバにあるワイナリー「シエラ・デ・トローニョ」でワインを飲む、オーナーのサンドラ・ブラーヴォ。

紀元前11世紀、フェニキア人の時代にまで遡るワイン造りの歴史を誇るリオハでは、いたるところに古い歴史の痕跡が残っています。リオハ州を蛇行し、スペイン語圏とバスク語圏の境界線付近を流れるエブロ川に沿ってクルマを走らせれば、ドルメン(支石墓)と呼ばれる新石器時代の巨大建造物が目に入ってきます。

また、ラグアルディアの町では、紀元前3世紀に起きた大虐殺の際に破壊された村の遺跡を見学することもできます。もちろん、スペインを代表する高級ワイン産地らしく、何百というブドウ畑もあります。

リオハでのワイン造りで重視されるのは熟成期間です。1930年代以降、リオハワインは樽での熟成期間によってラベリングされてきました。クリアンサ、レセルヴァ、グランレセルヴァの最低熟成期間は、それぞれ2年、3年、5年です。昔からリオハではワインとオークの触れ合いが最も重要な要素だとされ、土壌・気候・土地の組み合わせ、つまりリオハ以外のワインの世界では不可欠とされる「テロワール」は、それほど重要視されてこなかったのです。

しかし、今ではワイン造りのトレンドも変わり、「リオハは堅苦しくて時代遅れ、年寄りの飲み物だ」と思っている人たちを驚かせるワインも出てきました。新世代の醸造家たちは、ワインにこだわる愛好家たちのために、フレッシュかつ果実味たっぷりで、アルコール度数&オークの風味低めのワインを世に送り出しているのです。

昨年、エブロ川のバスク側にベースを置く生産者40人が、リオハの伝統的なアペラシオン(原産地呼称)と袂を分ち、自分たちのワインにビンテージだけでなく産地の詳細も表示するよう欧州連合(EU)に陳情したことは、この地域のワイン生産者の間に緊張をもたらしました。ワイン界の“ブレグジット”(イギリスのEU離脱)ともいえるこの大事件に業界は騒然となりましたが、結局バスクの生産者たちは(少なくとも、今のところは)この要求を取り下げているようです。しかしこのエピソードは、リオハのワイン造りが変わりつつあることを示す一例といえるでしょう。

シエラ・デ・カンタブリア山脈の麓に広がる「ボデガス・プハンサ」のブドウ畑

今年の夏、私はリオハワインを変えようとしている人々に会いに、この地域を旅しました。バスクの街、サマニエゴに超豪華ホテル「パラシオ・デ・サマニエゴ」がオープンした直後でもあり、リオハには活気がみなぎっていました。

ロスチャイルド家が所有するこのホテルは、18世紀の邸宅を復元した建物に全9室のスイートルームを擁し、館内にはロスチャイルド家所有の美術品が飾られています。また、ブルーノ・コエーリョが手がけるレストラン「ティエラ・イ・ヴィーノ」も人気です。2006年にエルシエゴ村にオープンしたフランク・ゲーリー設計の「ホテル・マルケス・デ・リスカル」も改装を終え、ホテルが所有するブドウ畑でのワイン生産を完全オーガニックに切り替えるなど、サステナビリティに重点を置いた改革も行われました。

しかし、私の最初のミッションは、リオハの革命的精神を体現している醸造家「シエラ・デ・トローニョ」のサンドラ・ブラーヴォに会うことでした。彼女は川のバスク側でワインを造っていますが、リオハのアペラシオンを離れることは考えなかったといいます。しかし、樽熟期間の長さで自分のワインを定義することは拒否し、先述の3つの分類も使用していません。

リオハ特有の重厚なスタイルの赤とは対照的な、フレッシュで生き生きとした彼女のワインを味わっている途中、ブラーヴォは「革命は内側から始まらなければならないものです」と語りました。「既存のシステムを壊して、一からやり直す必要があるのです」。

この造り手としての哲学は、ラグアルディアの「ボデガス・プハンサ」でも感じられました。同ワイナリーの輸出担当ディレクターであるロレーナ・コルバチョのクルマで、標高約150メートルにある涼しくて風の強いブドウ畑に連れていってもらいました。「プハンアサ」が造るワイン「ノルテ」は、「シエラ・デ・トローニョ」と同様、熟成年数によるラベル付けをしていません。「私たちは、クリアンサ、レセルヴァ、グランレセルヴァの表記は使いません」とコルバチョは教えてくれました。「樽熟成の期間は、少しずつ減らしています」。

ラグアルディアの「ボデガス・プハンサ」のスタッフ。左からジョン・ハイロ・ドラダ、イニゴ・アロンソ、ローラ・レオン、ルチア・アバンド

エブロ川沿いにある小さな町、アーロでは、19世紀後半にリオハとボルドーをつなぐために建てられた鉄道の駅にちなんだワイナリー「バリオ・デ・ラ・エスタシオン」で楽しい時間を過ごしました。1880年代にブドウネアブラムシという寄生虫がフランスのブドウ畑に壊滅的な被害をもたらすと、現地のワイン生産者たちはブドウの供給先としてリオハに助けを求めました。実際、この地域のワイナリーはどこも、このブドウ栽培がブームになった当時に出来たものが多くあります。

しかし、この地域のワイナリーの中には、今なお伝統をしっかりと守っているところもあります。例えば「ラ・リオハ・オルタ」のダイニングルームで、私は長期熟成の「グランレセルヴァ」を飲みつつ、直火でグリルしたラムチョップを頂きました。「私たちは流行を追うことはしません」と、グランレセルヴァを作り続けてきた同ワイナリーの5代目、ギジェルモ・デ・アランサバル・ビットナーはいいます。「今の流行が、それほど長続きするとは思っていないのです」。

しかし、長い歴史を持つこの地域にも、新たな時代の兆しが見えています。お隣の「R・ロペス・デ・エレディア」では、145年の歴史がある中庭で「ヴィア・トンドニア2008」のハーフボトルを堪能しました。ちなみにこの店舗はザハ・ハディッド設計です。「ゴメス・クルサド」では、テンプラニーリョ種とガルナッチャ種の弾けるようなブレンドを試飲しました。ワインを注いでくれた若い女性は「このワインはちょっと無鉄砲で情熱的なところがあります」と説明してくれました。

もちろん、何が「古く」て、何が「新しい」かという時に、全ての人が納得するような定義はありません。私は、バスクのマニュエタ村にあるワイナリー「アルトゥケ」のアルトゥロ・デ・ミゲルを訪れ、彼が自らの手で収穫する(一部のブドウは足踏みで圧搾している)という、谷を見下ろす高地にあるブドウ畑を案内してもらいました。

試飲をしながら、アルトゥロは、自分たちの世代が“新しいスタイル”を作っているという考えに異を唱えました。「私たちは真に伝統的なスタイルでやっていると考えることもできます。私たちは、フランスにブドウネアブラムシがやってくる前、リオハに鉄道が走る前のやり方でワインを作っているのです」。

左:サン・ビセンテ・デ・ラ・ソンシエラのワイナリー「アデル・メンドーザ」で摘み取られたばかりのテンプラニーリョ。右:サマニエゴのブティックホテル「パラシオ・デ・サマニエゴ」にあるレストラン「ティエラ・イ・ヴィノ」

中国系アメリカ人のジェイド・グロスは、リオハに住むとは夢にも思ってもいなかったといいます。美食の街、サン・セバスティアンにあるミシュラン2つ星レストラン「ムガリッツ」の料理長を務めた後は、フランスに身を落ち着けるつもりだったといいます。そんな彼女が、今ではリオハの絶景が眺められる19世紀の城、サン・ビセンテ・デ・ラ・ソンシエラがある村にブドウ畑を所有しているのです。

ある朝、グロスと私はハーロでタパス屋巡りをしました。「ロス・カニョス」ではパプリカにひき肉を詰めたピメントレジェーノスやアンズタケの入ったスクランブルエッグを、「ベートーベン」では様々な生ハムを楽しみました。

他の若いワイン製造者と同じく、グロスも幸運なことに、世界的に高く評価されている「アベル・メンドーサ」のオーナー夫妻、アベル・メンドーサとマイテ・フェルナンデスの指導を受けていました。夫妻は、サン・ビセンテ・デ・ラ・ソンシエラのブドウ畑で、伝統に従うのではなく自分たちの飲みたいワインを造ってきました。「夫妻は新世代の醸造家たちをサポートしてくれます。この哲学を次世代に伝えていくのはとても重要だと思います」とグロスはいいます。「しかし、私たちはまだその試みの始まりに辿り着いたに過ぎないのです」。

この記事はTravel & Leisureのジェイソン・ウィルソンが執筆し、Industry Dive Content Marketplaceを通じてライセンスされています。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@industrydive.comまで

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