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幸せを呼ぶ「十日戎」って関西だけの祭りなの?と神社の人に聞いてみた

「十日戎(とおかえびす)」って知ってますか?
関西以西の人にとっては愚問ですよね。
逆に、関東以北の人に尋ねたら、十中八九「え、何それ?」という答えでしょう。
毎年正月10日に、恵比寿様に商売繁盛を祈願する神社のおまつり。恵比寿様のご利益にあやかろうと、家庭で、露店で、居酒屋で、「ヱビスビールでカンパイ!」が増える晴れやかな日。
関西では100万を超える人が集まるこのおまつりですが、関東ではその名を聞くことすらほとんどありません。なぜなんでしょう?
神社の方に聞いてみると、謎が解明されただけでなく、おめでたいハレの日をヱビスビールで祝いたくなる、日本人の心のありようが見えてきました。

恵比寿様が庶民に愛される理由とは

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引札「恵比寿と兎波」(河原井源次氏蔵、桐生西宮神社提供)

「恵比寿様って知ってる?」
「もちろん。ビールのマークになってる、あの神様でしょ?」
「そう。何の神様だと思う?」
「鯛を抱えて、めでたい福の神でしょ?」
「そうそう。いつごろから信仰されてると思う?」
「そりゃ・・・ずっと昔からでしょ」
これ以上の知識を持っている方は、それほど多くないのでは。恵比寿様は、庶民のあいだでは、古くから海(漁業)の神や市場の神として信仰を集め、室町の世になってから、インドや中国から渡ってきた七福神と結びついて、いまのような福の神としてまつられるようになったと言われています。
なんでそんなことになったのか。恵比寿様をまつる神社として全国に名を知られる、兵庫県の「西宮神社」宮司・吉井良隆さんはこう説明しています。
「経済力の発達に伴い職業の分業化が拡大し、同時に商業の発展に伴う市の繁栄が、いやが上にも福の神信仰を助長させました。民衆は競って福の神をまつり、福を授からんことを求めたのです」(『えびす だいこく 福の神』)
農民たちが手もとに残る農産物を売り買いする市が発達し、そんななかで塩をつくったり、器を焼いたり、農業以外の方法で食い扶持を稼ぐ人たちが出てきて、福の神のご利益に期待する人の数が格段に増えたわけです。

 

関西では正月の風物詩の「十日戎(とおかえびす)」

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そのうち、商人の家ごと、同業者ごとに恵比寿様をまつる「えびす講」という行事が生まれ、恵比寿様が稼ぎに出かける日(1月10日あるいは20日)と帰ってくる日(11月20日)を祝うようになります。
そして、江戸時代。商業の中心地として栄えた阪神地域では、古くから恵比寿様をまつる西宮神社(兵庫県西宮市)や今宮戎神社(大阪市浪速区)が、商売繁盛の神として信仰を集めるようになり、そこで行われるえびす講は「十日戎(とおかえびす)」として、大きなにぎわいを見せるようになるのです。
西宮神社では、1月9日深夜からすべての門を閉ざし、身を清め静寂の時間を過ごす「居籠(いごも)り」のあと、10日午前4時から祭典を執行。その後、6時に表大門が開かれると、門前に待ちかまえていた人たちがいっせいに駆け出す光景が見られます。最初に本殿にたどり着いた人たちがその年の「福男」(一番福〜三番福までの3人)になる恒例の行事「開門神事福男選び」です。

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西宮神社の十日戎の縁起物(熊手と福笹)

 

11日までの3日間、境内では「商売繁盛、笹もってこい」のかけ声が飛び交い、鯛や小判などの飾りをつけた縁起物の福笹や熊手を買い求める参拝客であふれ、その様子は福男選びと合わせてニュース番組で報じられるなど、正月の風物詩となっています。恵比寿様に祈る気持ちは、関西ではもはや生活の一部なんですね。

 

続きは、ヱビスマガジンにて♪

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