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禁酒法がアメリカのお酒の歴史にもたらした変化を学ぶ

How Prohibition Reinvented Drinking In America

アメリカでは、禁酒法時代の話は完全に神話のような存在になっています。非合法の薄暗い酒場への秘密の入口、“フラッパー”と呼ばれたモダンな女性たちとジャズの音楽、そして陽気な禁断の酒盛り。これらの言葉を聞けば、当時の様子が自然と脳裏に浮かんでくるアメリカ人は少なくありません。

しかし現実はずっと地味なものでした。蒸し暑いマンハッタンのクラブに集って酔う客たちよりもはるかに多くの人々が密造酒で中毒を起こしていました。また汚職警察官の存在やギャングによる発砲事件も日常茶飯事でした。さらには一般の人が買えるお酒は運が良くても標準以下のクオリティでしかなかったほどです。

プレミアムウォッカである「アブソルート・エリクス」のグローバル・ブランド・アンバサダーを務めるガレス・エバンス氏は「大抵のもぐり酒場には身分を隠している逃亡者や違法なことに手を染めている人たちが大勢いて、手に入る酒ならなんでも使って作った、質の悪いカクテルばかりを飲んでいたのです」と言います。

禁酒法時代は、カクテルを愉しむのに良い時期だったとは決して言えません。とはいえ禁酒法は、アメリカ人に新しい蒸留酒の味を伝え、また女性の飲酒を後押しするなど、1世紀以上経った今でもアメリカ人のお酒の愉しみ方に大きな影響を残しています。そこで禁酒法施行100年を記念して、この法律がアメリカ人の飲酒文化に与えた影響を振り返ってみましょう。

禁酒法とはどのような時代だったのか

1920年117日の深夜にワイン、ビール、そしてわずかな例外を除く蒸留酒の販売が違法になりました。しかしお酒を飲むこと自体は違法ではなかったので、禁酒法が施行される直前には、手当たり次第に酒を買い占めようとする争奪戦が繰り広げられました。裕福な層は酒屋一軒分に値するワインやスコッチを買う資金と人脈、そしてそれらを収納する物理的なスペースを持っていましたが、それ以外の一般的なアメリカ人は自分たちでどうにか調達するしかなかったのです。

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禁酒法がアメリカ人の飲酒を止めさせようとして制定された法律でなかったことは明白です。『Last Call: The Rise and Fall of Prohibition』の著者であるダニエル・オクレント氏は「禁酒法施行直後から酒を飲みたい者が抜け道を見つけ出すことは容易なことだった」と書いています。また反対派への妥協策として認められていたアルコールの入手方法もいくつかありました。例えばウィスキーは“医療用”として医師に処方してもらうことができたのです。

この法律は施行当日から平然と無視されていました。ヨーロッパで買い付けられた蒸留酒がフェリーで運ばれ、ウイスキーはカナダから、ラム酒はカリブ海から密輸されていました。工業用アルコールを原料に杜松オイルで希釈・味付けした粗末な模造“ジン”が流通し、南部の片田舎では密造酒が作られていました。

Last Call』に引用されているように、新聞記者のマルコム・ビンゲイ氏は当時を辛辣な言葉でこう振り返っています。「デトロイトで酒を飲むことは不可能でした。なぜならバーカウンターに近寄って、混雑と喧騒の中でも聞こえるくらいの大声を張り上げ、忙しいバーテンダーに何が飲みたいかを伝えなくてはならなかったのです」。

アメリカが失ったもの

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要するに禁酒法時代のアメリカでお酒を飲むこと自体は難しいことではなかったのです。とはいってもアルコール飲料の取引全てがブラックマーケットに移ってしまったので、品質の保証を得ることは事実上不可能でした。「バハマの首都ナッソーから密輸されたシングルモルトのスコッチから、希釈した遺体の防腐処理用薬液まで、もぐりの酒場が出すドリンクは何でもありでした」とオクレント氏は書いています。

アメリカ全土で数千軒と存在した家族経営の醸造所の中には、長い歴史を持つ有名ブランドも多くありましたが廃業を余儀なくされ、また全国各地のバーが閉店しました。禁酒法施行前のアメリカはカクテルの黄金時代でしたが、その後この洗練されたカクテル文化は消えてしまいました。今日“クラシック”とされているカクテルの多くは、19世紀後半に栄えたアメリカのパブやプライベートクラブで発案されたものです。

結局のところ、どんな酒を使っているか分からないのにカクテルの味を保証することはできません。質の悪いウィスキーで作ったオールド・ファッションドなど飲めたものではありませんし、どこから来たのか分からない“ジン”で作ったマティーニもまた然りです。

そういった理由で、ヨーロッパの蒸留所やワイナリーには何世紀にも及ぶ歴史があるのに対し、禁酒法時代以前に正式なルーツを持つアメリカの蒸留酒ブランドはほとんど存在しないのです(あるとすれば、医療用ウィスキーを売っていたブランドばかりです)。禁酒法によって生産者の整理統合が進み、片手で数えられるほどの醸造所しか生き残ることができませんでした。その結果として、2~3の大会社が今なおビール市場を支配している現実があるのです。

少なくともビールは禁酒法時代を乗り切りましたが、りんご酒はそういう訳にはいきませんでした。植民地時代の初期から1920年代に至るまで、りんご酒は非常に人気のあるお酒でした。特にりんごが豊富に採れるアメリカ北西部では、ラガーやエールなどのビールと同じくらい大量に消費されていました。しかし禁酒法時代が終わってみると、りんご酒の存在は完全に忘れ去られてしまいました。つい最近になってようやく復活の兆しが見えてきましたが、昔のように大衆に好まれるドリンクになることは難しいでしょう。

また長年蓄積されてきたカクテルづくりの知見も失われました。「禁酒法によって、バーテンダーはいかがわしくて下品だというイメージが定番となり、カクテル文化は大きなダメージを受けました」とエバンス氏は言います。「この影響は禁酒法の時代から現代に至るまでずっと続いています」。

新たな蒸留酒の登場

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しかしアルコール飲料を禁じた禁酒法が、実はお酒の世界に進化をもたらしたという皮肉な側面もあります。カクテルとスピリッツ専門のライター、キャンパー・イングリッシュ氏は、禁酒法のいくつかの“良い点”について自身のサイト「アルカデミックス」で次のように説明しています。「南部から入って来るテキーラや北部から来るカナダ産ウイスキーのように国境を超えて密輸されてきたドリンクの人気が出たのはまさに禁酒法時代でした」。

禁酒法の廃止後も、輸入された蒸留酒の人気が衰えることはありませんでした。「カナダ産ウィスキーはさらに高い人気を維持しました」とエバンス氏。「禁酒法が廃止されると消費者は大急ぎでアルコール飲料を買いに走りましたが、アメリカ人の大好きな蒸留酒であるウイスキーは熟成する必要があるので、この需要を満たすのに十分な在庫がありませんでした。そこでウイスキーが飲みたくてたまらないアメリカ人は国境の北に目を向けたのです」。

またカリブ海全域で生産されるラム酒も人気のお酒の一つになりました。「禁酒法時代には特にニューヨークでラム酒が大変な人気を博しました」とザ・ラム・ハウスのパートナー、ケネス・マッコイ氏は言います。北東部では密輸されたラム酒を買うのが一般的でしたが、カリブ海に近いところに住む(または裕福な)アメリカ人は直接現地まで行ってラム酒を購入しました。

「禁酒法時代にはラム酒をベースにしたカクテルを求めて、多くの裕福なアメリカ人がキューバやその他の南の島の港町を訪れていました」とイングリッシュ氏。こうした事情に通じていた現地の蒸留酒ブランドは、飲酒目的の観光を促進するためマーケティングやアメリカ人観光客の出迎えに力を入れていたと言います。

バカルディ家5代目のレイチェル・ドリオン氏によると「バカルディは、アメリカ人観光客を本場であるキューバに連れきて、ラム酒とカクテルの文化に触れさせる機会に目を付けたのです」といいます。「また特製の絵はがきを使ってトロピカルなラム酒の楽園というキューバのイメージを植え付けました。これぞ1920年代版のソーシャル・メディア・キャンペーンです」。バカルディはバーテンダーのパッピー・ヴァリエンテ氏を空港に派遣し、カクテルのダイキリを片手に飛行機から降りてくるアメリカ人観光客たちを出迎えました。

ダイキリやモヒートなど今日でも人気のあるカクテルは、このようにして禁酒法時代にアメリカ人の知るところとなったのです。現在アメリカで最も売れているラム酒ブランドになったバカルディもその例外ではありません。

また禁酒法時代にラム酒の生産が加速したことにより、今も人気のトロピカルなカクテルであるティキが生まれたのです。「ラム酒を中心にしたティキ・バーが初めてオープンしたのは、禁酒法施行後の1930年代のことでした。その後第二次世界大戦が終わった1940年代には人気が爆発しました」とイングリッシュ氏は説明する。

「供給が不安定なこの激動の時代に、大量のラム酒が樽の中で熟成されていました」。熟成した美味しいラム酒がふんだんに手に入るようになったことから、先見の明のあるバーのオーナーたちはこれを最大限に活用するビジネスに目を付けたのです。「1944年にトレイダー・ヴィック氏が発案したマイタイには、17年もののジャマイカ産ラム酒が使われていました。また複数の島で生産されたラム酒をブレンドすることは、ティキ・カクテルの特徴の一つになりました」。

カクテルと伝統

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禁酒法が施行された1920年代のアメリカはカクテルにとって冬の時代でした。そのため才能あるバーテンダーたちが大挙して国外に離散していきましたが、彼らは海外でも創意工夫を怠ることはありませんでした。

「禁酒法時代に登場した人気のカクテルは、実はアメリカで発案されたものではありません。むしろ別の地域で様々な影響を受けて生まれたのです」とエバンス氏は説明します。「ご想像の通り本国で職を得ることができなくなった一流のアメリカ人バーテンダーたちは、パリやロンドン、または近場のキューバなどの大きなバーに移っていったのです」。あまり知られていない古典的なカクテルのメアリー・ ピックフォードもこうして生まれたカクテルの一つです。ラム酒とパイナップル・ジュース、グレナデン・シロップ、マラスキーノをシェイクしたこのカクテルは、サイレント映画時代に大活躍した女優の名を冠しています。

また以前から使われていたミキサーは、禁酒法時代にはるかに多くの場面で使われるようになりました。なぜなら怪しげな酒は混ぜ物をしてごまかした方がいいからです。偽のジンはマティーニにするよりもトニックで割ったほうが美味しく、密造ウィスキーにはソーダよりジンジャーエールを混ぜた方が飲みやすかったのです。そしてコカ・コーラも空前の大成功を収めました。禁酒主義の人たちだけでなく、質の悪いドリンクの味をごまかすのに必死だった酒飲みにも大量に購入されたからです。

女性の飲酒も後押し

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禁酒法はアメリカ人が何を飲むかだけではなく、誰と一緒に飲むかという習慣にも変化を引き起こしました。非合法のもぐり酒場は決まり事などほとんど存在しない場所であったため、女性も男性と同じようにお酒を楽しむことができたのです。

「アメリカの古い酒場であるサルーンは一般的に男性だけの場所でした。禁酒運動に賛同した人々の一部は完全に反アルコールというわけではなく、むしろ反サルーンだったのです」とイングリッシュ氏は言います。「禁酒法時代にオープンしたもぐりの酒場や自宅で開かれるカクテルパーティーでは、男女に関わらずお酒を愉しむ姿が見受けられました。禁酒法が廃止された後も、高級ナイトクラブやカクテルバーではこの状況は変わりませんでした」。

現代のもぐり酒場

ブラックマーケットでの取引を除けば、アルコール飲料業界を完全に一掃した禁酒法は、アメリカの蒸留酒、バー、カクテル文化に莫大な被害を与え、様々な意味で飲酒の暗黒時代を引き起こしました。例えば、古典的なカクテルが現代のバーに本格的なカムバックを果たしたのも、ここ十数年の話です。

こうしたバーの多くは、カクテルのレシピは禁酒法以前の時代を参考にしつつ、店の雰囲気は禁酒法時代のもぐり酒場をイメージしています。「ミルク & ハニー」をはじめとする先駆者的なクラフト・カクテル・バーやその後に人気を博したPDTPlease Don’t Tellの意。隠れ家的なバーを指す)などは、どれも暗い照明と看板のない入口が呼び物でした。それから10年以上が経ち、今や世界中のバーがこの店舗スタイルを採用しています。

「もぐり酒場のスタイルは今も世界中で引き継がれています。普通は入ることができない特別なパーティーに招待されるのが嫌いな人なんていませんからね」とエバンス氏は言います。

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「誰かを飲みに誘って看板も何もないドアをノックし、暗い店内で美味しい酒を愉しむことの魅力は計り知れません。このようなバーが蒸留酒を使った雰囲気のある茶色のカクテルを世界中で復活させています。バーテンダーたちは過去から学んで自分たちのスキルを高める大切さを再発見しているのです。これは決して悪いことではないと私は思います」。

ブルックリンにある「ザ・シャンティー」のヘッドバーテンダー、マリッサ・マッゾッタ氏もこの意見に同意しています。「もぐり酒場はクールでセクシーな存在へと変化しました。もぐり酒場にいるということはすなわち事情通だということの証明なのです。2000年代にもぐり酒場の文化が人気を博したことによって、ビールやショットのドリンクを出すだけというバーテンダーのイメージも変わってきました」と彼女は言います。「今は尊敬に値するきちんとした職業だと認められているのです」。

カクテル文化をほぼ壊滅させた禁酒法はつまるところ天下の悪法であり、短命に終わった社会的実験でした。しかしその反面、ミキサーの使用やラム酒を使ったカクテルの発明、さらには現代版もぐり酒場の登場や、女性のバーでの飲酒まで、短期間でありながらに実に多くの効用をもたらしたともいえます。禁酒が叫ばれたこの時代は、その後1世紀以上にも及ぶ影響をアメリカ人の飲酒習慣に残したのです。

この記事はFood & Wineのキャリー・ジョーンズによって書かれたもので、NewsCredパブリッシャーネットワークによってライセンスされています。ライセンスに関する質問については、legal@newscred.com.までお問い合わせください。

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