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第2回:「渋沢栄一とサッポロビール」サッポロビール社史相談室

<登場人物>

サッポロビール㈱社史相談室/社史原ノリ子

入社3年目。社史(会社の歴史)に関するよろず窓口。普段は社史室にこもって黙々と仕事をしているが、相談を受けるとノリノリになる。愛称はシャッシー。

サッポロビール㈱東京外食営業部/営業マン太郎

入社3年目。東京中を飛び回る営業マン。社史、特に自社商品の歴史に関する知識を身に付け、営業活動に活かしたいと考えている。シャッシーとは同期入社。愛称はマン太郎。

(画像2)登場人物.png

渋沢栄一ゆかりの企業で「百社一首」

シャッシー!大変だ! 

どうしたの?マン太郎くん。

今日(2024/5/30)の朝刊に、サッポロビールの句が載っていたぞ。ほら、これこれ。「北の国から東京へ  ラベルの星は いちばん星に」だって。

(画像3)読み札.png
▲サッポロビール㈱の「百社一首」読み札

百人一首じゃなくて、百社一首?

そう。これは渋沢栄一肖像の新一万円札が発行されるのを記念して発売されたものよ。今回この企画に参加している「渋沢栄一翁が関わった企業」のリストはこれ!

<百社一首 参加企業>(五十音順)

1.株式会社IHI、2.株式会社秋田銀行、3.アサヒビール株式会社、4.王子ホールディングス株式会社、5.オーベクス株式会社、6.オーロラ株式会社、7.科研製薬株式会社、8.株式会社カネボウ化粧品、9.関西電力株式会社、10.九州電力株式会社、11.株式会社京都ホテル、12.一般社団法人共同通信社、13.麒麟麦酒株式会社、14.クラシエ株式会社、15.株式会社群馬銀行、16.KDDI株式会社、17.西部ガスホールディングス株式会社、18.サッポロビール株式会社、19.サムティ・ホテルマネジメント株式会社(旧サントーア)、20.株式会社JTB、21.株式会社時事通信社、22.株式会社七十七銀行、23.澁澤倉庫株式会社 24.清水建設株式会社、25.常磐興産株式会社、26.大日本印刷株式会社、27.太平洋セメント株式会社、28.秩父鉄道株式会社、29.中国電力株式会社、30.株式会社帝国ホテル、31.帝人株式会社、32.株式会社電通グループ、33.東亜建設工業株式会社、34.東海汽船株式会社、35.東急株式会社、36.株式会社東京會舘、37.東京海上日動火災保険株式会社、38.東京ガス株式会社、39.東京商工会議所、40.東京製綱株式会社、41.東京建物株式会社、42.東京地下鉄株式会社、43.東京電力パワーグリッド株式会社、44.東洋紡株式会社、45.日産化学株式会社、46.株式会社ニッピ、47.日本化学工業株式会社、48.日本製紙株式会社、49.株式会社日本取引所グループ、50.日本マレニット株式会社、51.日本郵船株式会社、52.箱根温泉供給株式会社、53.株式会社八十二銀行、54.東日本旅客鉄道株式会社、55.ふかや農業協同組合、56.古河機械金属株式会社、57.平和不動産株式会社、58.株式会社北陸銀行、59.北海道ガス株式会社、60.株式会社みずほ銀行、61.三井住友信託銀行株式会社、62.三井物産株式会社、63.株式会社三菱UFJ銀行、64.国立研究開発法人理化学研究所、65.りそなグループ、66.若築建設株式会社 以上

え~すごい!こんなにあるんだ。

うん。渋沢栄一は生涯に約500の企業の育成に関わったといわれているの。その中に当社(サッポロビール㈱)も含まれているというわけ。

なるほど~

1887年「札幌麦酒会社」を設立し初代委員長に

今年の4月には、サッポロ生ビール黒ラベル「渋沢栄一缶」が数量限定で発売になったよね。これも新一万円札発行を記念したものなんだけど、缶のデザインはこれ!

(画像4)栄一缶.png
サッポロ生ビール黒ラベル「渋沢栄一缶」(数量限定)

あ~これね。コンビニで見かけて即買いした。空き缶は捨てられずにとってあるけど。

私もすぐに購入して、空き缶はしっかり保管しているよ。空き缶も貴重な社史資料だからね。

たしかに、新紙幣が出るって歴史的な出来事だもんな。

前回一万円札の肖像が聖徳太子から福沢諭吉に変わったのが1984年。今回の渋沢栄一への変更は、なんと約40年ぶりだよ。

40 年ぶり?!

で、この渋沢栄一缶だけど、この缶のデザインの中に書かれている説明文を読んでみて。

「現在のサッポロビールの前身である『札幌麦酒会社』を1887(明治20)年に設立し初代委員長に就任しました。」

「札幌麦酒会社」の初代委員長ね。そうそう。補足すると、サッポロビールの源流は官営の「開拓使麦酒醸造所」で、それが開拓使廃止後の1886年に「大倉組」に払い下げられて、その翌年に渋沢栄一を筆頭に、浅野総一郎、大倉喜八郎らが設立したのが「札幌麦酒会社」なんだよね。

そう!さすがマン太郎くん。よく勉強しているね。

ま~ね~。

このあたりまではわかっているんだけど、その後はどうなるんだっけ?

(画像5)約定書.png
▲札幌麦酒会社創立の約定書(サッポロビール博物館所蔵)
※渋沢栄一は約定書の創立発起人総代として筆頭に名を連ね委員長に就任しました。

1894年「札幌麦酒株式会社」の取締役会長に

うん。設立の6年後の1893(明治26)年には、社名を「札幌麦酒株式会社」へ改称。翌1894年に渋沢栄一は取締役会長に就任。

あ~ここで、植村専務が登場するんだね。

そうそう。渋沢栄一は経営体制を強化するため、実務面の最高責任者として、当時、北海道炭礦鉄道会社監査役だった植村澄三郎を迎え入れるの。

実務はこの人に任せたってこと?

うん。多くの事業に関わっていた渋沢は超多忙だったし、東京在住だったから、北海道の現地で経営に専念できる人材が必要と考えたわけ。

東京進出で、1905年に業界トップに!

ここから札幌麦酒株式会社は大躍進していくことになるの。

大躍進?!

うん。まず、当時はビール需要がどんどん拡大していたから、それに対応できるように、札幌工場の設備の近代化を進め、製造能力を増強した。

木造だった工場は、レンガづくりの建物に刷新されていったんだよな。

うん。そして、1903(明治36)年には東京工場を竣工。その結果、1905年には札幌麦酒は製造量で業界トップになったの。

え?!マジで?!すごすぎる!

(画像6)東京工場.png
▲東京工場を描いたポスター(1904年)工場の所在地は吾妻橋で、現・アサヒビール本社

さっき出てきた「百社一首」のサッポロビールの読み札は、この話を句にしたもので、取り札の裏には、解説文も書いてあるよ。

▲サッポロビール㈱の「百社一首」の取り札

1906年に3社合同の「大日本麦酒」が設立

札幌麦酒が業界トップになった翌年の1906(明治39)年に、3社合同の大日本麦酒が設立されるっていうことだよね。

そう。この札幌麦酒の躍進が、ビール業界再編の引き金になったというわけね。

激しい競争をしていたヱビスとアサヒとサッポロの3ブランドが同じ会社になって、その市場シェアは7割を超えたって、すごい話だな。

うん。渋沢栄一はこの合同を調整し、日本麦酒(ヱビス)の馬越恭平を社長に選ぶとともに、自らも取締役に就任し会社を支えたの。

日本のビール産業の礎を築いた渋沢栄一

百社一首の企業リストにもあったけど、渋沢が関わったビール会社は、サッポロだけじゃなくて、アサヒやキリンもあるよね?アサヒは大日本麦酒時代の関わりだと思うけど、キリンは?

うん。そのあたりは、下に掲載した変遷図にまとめたので見てみて。

お~、この変遷図すごい!競合2社を同時に支援している時期もあるね。

渋沢栄一は、一企業の隆盛よりも、産業全体の発展を重視していたから、海運、紡績などでも競合する複数社を同時に支援することもあったんだって。

なるほど。まさにビール産業全体の発展に貢献した人物ということだね。

そうね。ちょっと長くなったけど、渋沢とサッポロビールの関わりについてのお話は以上です。

改めて、サッポロビールそして日本のビール産業の礎を築いた渋沢栄一翁に感謝!

そして、この度は、渋沢栄一翁の新一万円札の発行、おめでとうございます!

(画像8)変遷図.png

※このコラムに登場する人物や部署は実在しません。しかし、サッポロビールの社史に関する話は、事実に基づいたものです。

※イラスト:iStock.com/wakashi1515

※新一万円札画像:国立印刷局ホームページ

<この記事を書いた人>

山根 一洋

1987年サッポロビール㈱入社。ヱビスビールのブランドマネージャーなどマーケティング部門を歴任。ラッキーヱビスの生みの親。現在は広報部で、社史に関するコラム執筆や社員教育などを担う。同時に、一般社団法人日本ビール文化研究会でビア検(日本ビール検定)の企画・編集主幹、ビールセミナー講師を務める。趣味のラジオCMコピー制作では、第7回文化放送ラジオCMコンテストでグランプリ&リスナー大賞など受賞歴多数。「渋沢栄一翁が関わった企業 百社一首」サッポロビール㈱の句の読み手。

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