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伝統と革新の融合が未来を創る―― 芸術の新たな世界を切り拓く、奈良祐希の歩む道。
1890年、本場ドイツのおいしさを追求して誕生したヱビスビールは、ふりかえれば130年以上、革新を繰り返しながらも誰よりもビールの無限の可能性を信じ、たのしみながらビールの魅力と文化を切り拓いてきました。2024年からは「たのしんでるから、世界は変えられる。」というメッセージを新たに掲げ、その姿勢・信念をお伝えしていきます。そんなヱビスが共感した各界の方々にインタビューを行っていく本企画。今回、ヱビスが共感したのは陶芸家と建築家、文化の二刀流として活躍中の奈良祐希さんです。350年以上の歴史を誇る金沢の茶陶の名門、大樋(おおひ)焼の12代目として生まれ育ったのち、東京藝術大学で建築を学び、現在は陶芸家、建築家として両ジャンルで活躍中。伝統と革新、人の手が生み出す温もりと最先端のテクノロジーを自在に行き来する奈良さんの、現在に至るまでの道のりと未来への展望をお聞きしました。
「好きな道に進みなさい」
父の言葉から始まった建築家としての歩み。
歴史ある窯元の名門に生まれた奈良さんが、なぜ建築家を目指し、そしてなぜ、陶芸の世界に飛び込んで“二刀流”となったのでしょうか。
「高校生の頃、通学路で金沢21世紀美術館(妹島和世+西沢立衛/SANAA設計)の工事が始まりました。何もないところから建築が建ち上がっていき、完成するまでを間近に見て、建築そのものもかっこいいなと思いましたし、何より街や都市、さらには社会に影響をもたらす世界に興味をもちました。自分の将来にレールが敷かれていることに反発する気持ちをずっと抱えていましたので、これだ、と思いました」
一浪を経て、東京藝術大学建築学科に入学を果たすと、そこは同学年がわずか15名という少数精鋭の、激しい競争の世界が広がっていました。
「与えられた設計課題に取り組むことは得意だったので、成績は悪くはありませんでした。一方で、たとえば模範解答のような建築を設計できたとしても、建築家として生きていく上で最も必要な『個性』を自分のなかに見出せていなかったのです。設定された課題をうまく解くことはできても、社会的課題を自分で見つけることまではできていなかった。そのことに危機感をもち、さまざまな建築家の本を読むうちに、自分のオリジンを見つめ直すことが大切なのでないかと思い至りました。帰省した際、そうした思いで改めて土と格闘する父や祖父の姿を見ると、今まで敬遠していた『陶芸』に初めて触れてみたいと思いました」
在学中は学外の建築コンペで数々の受賞を果たし、成績優秀な東京藝大学生に贈られる「安宅賞」も受賞。けれども建築の道からいったん離れて、自身のオリジンである陶芸に向き合い、基礎から徹底的に学んでみようと東京藝大大学院を休学し、多治見市陶磁器意匠研究所に2年間通うことに。
「その時点では、あくまでも自分の建築を探すために陶芸を学ぶのだという考えでした。そのため、大学院卒業後ではなく休学して陶芸を学び、その後復学する道をあえて選びました。陶芸から建築を見つめることで新たな概念を見つけたかったからです」
多治見市陶磁器意匠研究所の卒業制作では、陶芸と建築の融合を目指した「Bone Flower」シリーズが大きな反響を呼び、さまざまなコレクターの目に留まることに。同校を主席で卒業し、引き続き作品制作を求める声は大きかったものの、大学院に復学。建築の世界に舞い戻りました。
「大学院に復学してからは、陶芸で学んだ『工芸的』な考え方を建築に応用するという課題を自分に課して、修了設計に取り組みました。テクノロジーに頼るのではなく、いかに手の痕跡を残すか。設計プロセスにおいてもパラダイムシフトが起きました。先生方からも“学部在学中と作るものが変わったね”といわれました」
その修了設計が評価され、東京藝術大学院 吉田五十八賞を受賞し、主席で卒業。その後、恩師が主宰する北川原温建築都市研究所に入所し、さまざまなプロジェクトを担当した後に、建築家として独立しました。その間も陶芸作品へのリクエストは止まず、陶芸作品のコレクターから建築設計の依頼を受けるなど、ごく自然なかたちで陶芸家と建築家の二刀流の道を歩み始めました。
こちらは“ヱビスマガジン”の記事です。