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サッカーW杯の歴代優勝国はたったの8カ国。あなたはいくつご存知?
2022年11月に開幕するサッカーのワールドカップ。どの国がチャンピオンに輝くと思いますか? 世界でもっとも権威のあるサッカーの世界選手権であるワールドカップも、今年で21回目の開催を迎えました。過去20回の大会では8つの国がトロフィーを手にしています。
地元サポーターの声援に後押しされ母国優勝を飾ったチームもあれば、アウェイで勝利を収めホームチームの高まる期待を台無しにしたチームもあります。しかし、どのような勝ち方であれ、どのチームも世界最強としてその名を知らしめたという点では同じです。また、優勝経験国の多くは複数回にわたってチャンピオンの座を手にしています。
ここではワールドカップ2022の開催を間近に控え、過去の優勝チームの戦歴を振り返ってみましょう。以下に紹介する8カ国のうちイタリアを除く7チームは、カタール大会に出場します。
ワールドカップ歴代優勝国
ウルグアイ(1930年、1950年)
今から92年前にウルグアイで開催された第1回大会の決勝戦は、W杯史上でも忘れられない瞬間の一つです。ウルグアイが決勝で宿敵アルゼンチンを4-2で下し、初めての世界チャンピオンに輝きました。
20年後の第4回ブラジル大会でウルグアイは再び王者に返り咲きます。決勝リーグ第3戦で、優勝の期待がかかる開催国ブラジルを倒し、2度目のジュール・リメ杯(優勝トロフィー)を手にしました。
イタリア(1934年、1938年、1982年、2010年)
ウルグアイが世界一の座についてから4年後の1934年。今度はイタリアが開催国優勝を成し遂げました。決勝でチェコスロバキアを2-1で下し、ヨーロッパ初の世界チャンピオンになったのです。
続く1938年のパリ大会でもイタリアはチャンピオンの座を堅持。開催国フランスを準決勝で退け、決勝ではハンガリーを4-2で撃破しました。
1982年スペイン大会で、“アズーリ”(イタリア代表の愛称)を3度目の優勝に導いたのは、パオロ・ロッシという伝説的ストライカーです。イタリアの全12ゴール中6得点を挙げて大会得点王になるとともに、決勝では西ドイツを相手に先制点を決めました。
直近の優勝は、2006年ドイツ大会。フランス代表のジネディーヌ・ジダンがマルコ・マテラッツィへの頭突きにより退場になったことで知られる決勝戦で、イタリアはPK戦を制し、6大会ぶり4度目の優勝を果たしています。
ヨーロッパの強豪イタリアですが、残念ながら今回は欧州予選のプレーオフで北マケドニアにまさかの敗北を喫し、5回の最多優勝回数を誇るブラジルに肩を並べるチャンスを失ってしまいました。
ドイツ(1954年*、1974年*、1990年*、2014年)
西ドイツ代表として出場
当時ヨーロッパ最強といわれたドイツが初の栄冠を手にしたのは1954年スイス大会。決勝ではそれまで無敗のハンガリーに苦戦を強いられましたが、8分の間に3ゴールを決めて0-2から逆転、ハンガリーを3-2で下すという大逆転劇を演じました。
1974年大会はドイツが開催国。オランダとの決勝戦では、ゲルト・ミュラーが決勝ゴールを決めて2-1で勝利しました。キャプテンのフランツ・ベッケンバウアーが優勝トロフィーを高く掲げる姿が印象的でした。
それから16年後、1990年のイタリア大会でベッケンバウアーは監督を務めます。ローマでの決勝戦では、試合終盤の85分にアンドレアス・ブレーメがアルゼンチンからペナルティーキックをもぎ取り、2-1で優勝を果たしました。
ドイツ東西統一後の初優勝は、2014年のブラジル大会。準決勝では開催国ブラジルを7-1で撃破、決勝では延長後半にマリオ・ゲッツエが決勝点を決め、1-0でアルゼンチンを下しました。
ブラジル(1958年、1962年、1970年、1994年、2002年)
ワールドカップといって頭に思い浮かぶナンバーワンの国といえばブラジルでしょう。第1回からすべての本大会に出場し、5回の最多優勝を誇っています。さらに、2022年カタール大会でも優勝候補ナンバーワンと目されています。
“セレソン”(ブラジル代表の愛称)といえば、1958年大会決勝で開催国のスウェーデンを5-2で破り、史上4カ国目の優勝チームとなった初優勝が一番有名です。当時17歳のペレが決勝の2得点をふくむ全6ゴールを挙げ、世界の舞台に鮮烈なデビューを果たしたのもこの大会でした。
そのペレは、負傷のため1968年チリ大会では出場機会がほとんどありませんでしたが、ブラジルはペレ抜きでもしっかり勝ち上がります。最終的に決勝でチェコスロバキアを3-1で破り、連覇を達成しました。
1966年イングランド大会で3連覇のチャンスを逃したブラジルは、その4年後のメキシコ大会で南米予選から本大会決勝まで負け無しという、史上初の全勝記録を打ち立てています。ペレは4度目かつ最後となったこの大会の決勝戦(対イタリア戦)でW杯最後のゴールを決め、セレソンを4-1の圧勝へと導きました。また、1958年と1962年大会で代表メンバーに名を連ねた経験を持つ監督のマリオ・ザガロは、この大会で選手としてのみならず監督としても優勝を経験した最初の人物になりました。
しかし、その後ブラジルはW杯における長い不遇の時代に突入し、1994年のアメリカ大会までトロフィーを手にすることはありませんでした。ちなみに初代のジュール・リメ杯は、3度目の優勝を果たした際にブラジルへ永久譲渡されています。この大会でイタリア代表のロベルト・バッジョは、史上初めて0-0でPK戦に突入した決勝戦で痛恨のシュートミスを犯し、W杯における悲劇の主人公として歴史に名を残しました。
1998年大会では開催国フランスに続く準優勝を収めた後、2002年の日韓大会決勝ではロナウドが2得点を挙げてドイツを2-0で下し、ブラジルはサッカー史上に燦然と輝く5度目の優勝を果たしています。
イングランド(1966年)
1966年大会で開催国イングランドを優勝に導いたのは、監督のアルフ・ラムゼイです。“サッカーの聖地”として知られるウェンブリー・スタジアムで開催された決勝で、西ドイツを4-2で打ち破るという快挙を遂げました。
延長前半に2ゴールし、さらに延長後半でも追加点を挙げたジェフ・ハーストは、W杯決勝でハットトリックを記録した唯一のサッカー選手となりました。ちなみに2ゴール目となったシュートは、実際にゴールラインを割っていたかどうかでW杯史上もっとも物議を醸したゴールの一つとして知られています。
また前回大会となる2018年ロシア大会では、ガレス・サウスゲート監督の指揮の下55年ぶりとなる決勝進出を果たしましたが、トロフィー奪還の夢は叶いませんでした。
アルゼンチン(1978年、1986年)
アルゼンチンが果たした1978年と1986年の2度の優勝は、それぞれ全く異なる理由でサッカー史に刻まれています。
クーデターによって発足した軍事政権下で開催された1978年大会では、開催国を務めたアルゼンチンが決勝延長戦でオランダを下し優勝を飾りました。しかし、その前の2次リーグを突破できたのは、6-0で下したペルーに賄賂を渡したからだという八百長疑惑が浮上したのです。
8年後の1986年メキシコ大会におけるアルゼンチン対ブラジルの決勝戦は、サッカー史上もっとも素晴らしい戦いの一つで、ホルヘ・ルイス・ブルチャガが決勝点を決め、アルゼンチンを3-2で優勝に導きました。しかし、準々決勝のイングランド戦でヘディングシュートに見せかけた「神の手ゴール」を決め、2-1の勝利に貢献したディエゴ・マラドーナの名が歴史にもっと深く刻み込まれています。
フランス(1998年、2018年)
1998年に開催国優勝を果たしたフランス代表のキャプテンはディディエ・デシャンで、決勝ではブラジルに快勝しました。ジネディーヌ・ジダンが前半に2ゴールを決め、終了間際にエマニュエル・プティがダメ押しとなる3点目を奪ってブラジルを3-0で下し、悲願の初優勝を飾ったのです。
2018年ロシア大会で、今度は監督を務めることとなったデシャンが率いるフランスは再びその力を世界に知らしめ、最有力優勝候補という戦前の期待に見事に応えました。決勝トーナメントだけで11得点を挙げ、降りしきる雨のモスクワで行われたスリル満点の決勝戦ではクロアチアに4-2で勝利しました。
スペイン(2010年)
2000年代後半から2010年代前半にかけて3つの主要トーナメントを制し、世界のサッカーを支配したのがスペインです。そのピークは2010年アフリカ大会での初優勝でした。
過去にも見応えのある決勝戦はいくつもありましたが、延長戦まで突入する激闘となったこの試合ではアンドレス・イニエスタが値千金の決勝弾を決め、スペイン中が勝利に沸きました。またこの大会でスペインは、グループステージの初戦で敗れたにもかかわらず、その後全勝し最終的に優勝した史上3番目のチームになりました。
この記事はFourFourTwoのトム・ハンコックが執筆し、Industry Dive Content Marketplaceを通じてライセンスされています。ライセンスに関するお問い合わせはlegal@industrydive.comまで。
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