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「恵比寿ビール」誕生の地から「恵比寿ガーデンプレイス」へ【サッポロビールのこだわり】

サッポロのおいしさを、あなたのもとに

サッポロビールは、ただひたすらに理想のおいしさを追求しています。また、「お酒は、人生を楽しく豊かなものにできる。」と信じ、新しい発見をお届けすることで、お客様を笑顔にする一番身近な存在であり続けたいと考えています。

そんな“サッポロ”が、おいしいをお届けするために辿ってきた「サッポロビールのこだわり」をご紹介します。

 

▼「サッポロビールのこだわり」の過去の記事はこちら

 

テーマ13|「恵比寿ビール」誕生の地から「恵比寿ガーデンプレイス」へ

今回は、ヱビスビール誕生の地「恵比寿」について注目します!

サッポロホールディングスの前身、日本麦酒醸造会社は1899年に現・目黒区三田にビール醸造所を建設。1890年に「恵比寿ビール」を発売すると1896年には業界トップの売上を記録します。しかし、周辺の都市化によって工場の増設余地が少なくなり、1988年に千葉工場へ移転します。

1994年、再開発計画によって超高層オフィスビルや商業・飲食施設などが集まる複合施設「恵比寿ガーデンプレイス」が開業。東京の新名所として注目を集めました。環境へ配慮した街づくりとなっており、また年間を通じて様々なイベントが行われるなど、恵比寿エリアの発展に大きく貢献しています。

 

■現在の目黒区三田にビール醸造所竣工

日本麦酒造醸会社(サッポロホールディングスの前身)は、1889年東京府下荏原郡三田村(現・目黒区三田)にビール醸造所を建設。翌1890年に「恵比寿ビール」を発売すると、これが大人気を博しました。その後も売れ行きは増加を続け、1896年には業界トップの売り上げを記録します。そこで北側に隣接する豊多摩郡渋谷村(現・渋谷区恵比寿)に工場用地を拡張し、生産を拡大していきました。

 

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(日本麦酒醸造・ヱビスビール醸造場 1889年の竣工時)

 

■恵比寿地区の再開発計画が浮上

1980年代に入ると工場周辺の都市化が進み、生産における制約が増えるとともに、生産量拡大のための増設余地が少なくなり、社内では工場移転が検討され始めました。

一方、東京都では、「恵比寿地区整備計画の基礎調査報告書」に基づき当該地区の再開発が提案され、1986年、恵比寿工場の閉鎖と千葉工場(千葉県船橋市)への移転が決定。1991年には「恵比寿ガーデンプレイス」の名称が決定し、建設工事が始まりました。

 

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(サッポロビール・恵比寿工場時代 市街化が進み移転が討議されはじめた1980年代)

 

■東京の新名所「恵比寿ガーデンプレイス」開業

1994年10月、「恵比寿ガーデンプレイス」が開業。超高層オフィスビル、マンション、ホテル、商業・飲食施設、美術館、多目的ホールなどがある複合施設として話題をよび、東京の新名所として注目を集めました。オープン初日の来訪者は15万人を記録。約100年間に渡ってビールをつくり続けてきた土地は、新しい歴史を刻み始めました。

 

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(恵比寿ガーデンプレイス周辺)

 

■環境へ配慮した街づくり

恵比寿ガーデンプレイスは、”豊かな時間””豊かな空間”をテーマに全体をヨーロピアンテイストで統一し、庭園都市と商業都市が融合した街として高い評価を得ました。都心の複合都市として多彩な機能を果たしつつ、敷地の約6割が緑の多いオープンスペースとなっています。しかも、施設内の厨房等で発生する排水の再生利用、廃熱を有効利用するコジェネレーションシステムの導入など、環境を意識した街づくりとなっています。

 

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(ヨーロピアンテイストで統一した恵比寿ガーデンプレイス)

 


 

■まとめ

2009年、恵比寿ガーデンプレイスは開業15周年を迎え、同年9月に「恵比寿麦酒祭」を開催しました。永きに渡って恵比寿の地ならびにヱビスビールを愛し、育んでくださった全ての皆様への熱い感謝の気持ちと共に、日本のビール文化をより豊かなものにするためのビヤフェスティバルです。恵比寿エリア は、今後もさらなる発展をみせるはずです。

「サッポロビールのこだわり」はまだまだ続きます。

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