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  3. 大事な話は、この球場で

屋外球場は一瞬の悲鳴に包まれた後、安堵の吐息を吐き出した。

相手チームの四番がフルスイングして打ち返した球は、ファウルボールとして僕らの近くの客席に落下した。若いカップルの彼氏の方がそれを素手でキャッチして、あたりのお客さんだけが、にわかに盛り上がっている。

「危なかったな」

「ね」

ファウルボールは、あと数メートルずれていればホームランになっていただろう。ランナーは、二塁に一人。危うく点差を広げられるところだった。六回の裏。3-4で、贔屓にしているチームは負けている。父は、今日三杯目のビールが入った紙製カップを右手に持ち替えた。

「なんか、あったか?」

次の打者を打ち取って、七回が始まるタイミングだった。それまでほとんど黙っていた父が、ようやく、気まずそうに僕に訊ねた。七回になるまで要件を言い出せずにいた自分が、いつまでも反抗期を引きずっているようで、恥ずかしくなる。とっくに実家を離れ、結婚もしたというのに、父とは男同士の噛み合わせの悪さのようなものが、今でも拭えずにいる。

いつからか、口下手な父と僕は、大事な話をしたいとき、野球場に足を運ぶようになった。贔屓にしているチームの試合を二人で見ながら、相談したいことや報告したいことを話した。クラスに馴染めなかったことも、進路の相談も、就職先の報告も、四年前の結婚報告にいたっては、九回裏になるまで切り出すことができなかったが、全て、この野球場で話してきたことだった。

クリーンナップで迎えた、七回表の攻撃が始まった。五回から登板した相手チームの投手の調子が良く、すぐにツーアウトになり、諦めムードが漂った。しかし、三人目の打者がライト方向に安打を放つと、父が特に気に入っている選手が、次の打席に立った。

期待と緊張が、観客席を駆け抜けていた。ピンと張り詰めた空気の中で、僕は逆転を祈るように、小さく言った。

「子供ができた。来年、親になる」

直後、その日一番と思われる、快音が響いた。

打球はまっすぐに飛んでいき、あっという間にバックスクリーンに到達した。相手チームの野手はただボールを見送り、打った選手だけが、大きくガッツポーズしながら塁を回った。非の打ちどころのない、逆転ホームランだった。

「すごい、逆転じゃん」

「お前、子供って、本当か!」

父は、野球の存在自体を忘れたように、僕の両腕を掴んで言った。僕が目を逸らさずに頷くと、今度は見たことがないほど柔らかな笑顔を作り、そうか、そうかあと、二度呟いた。気付けば、まわりのお客さんは総立ちしていて、僕らもそれに続くように、ゆっくり腰を上げた。大きな拍手を送りながら、「長生きしなきゃなあ」と、父は言った。

どれほど有頂天になっていたか、その後の父が取った行動は、長い間一緒に暮らしていたはずの僕も、見たことがないものだった。使い古した鞄からおもむろに財布を取り出すと、父は、周りに座っていた人にも、ビールをご馳走し始めた。

「孫が生まれるんです。ええ、こいつの。へへ、ありがとうございます」

見知らぬ人にまで酒を振る舞い、デレデレと喜ぶ父を、僕は初めて見た。それほど喜んでくれるとは思ってもおらず、急に自分も、父親になるのだという実感が湧いてきた。

「二十年後かな。子供も連れて、三世代で野球見ながら乾杯しようよ」

酔ったフリをしてそんな言葉をかけてみると、父は深く二度頷いて、また黙った。よくよく顔を見れば、その幸せそうな目尻から、涙がツーっと流れて落ちていくところだった。七回表の僕らのチームの攻撃は、まだまだ続いていきそうだった。


この小説はサッポロビール公式ファンサイトSAPPORO STAR COMPANYにて、サッポロファンから寄せられたエピソードを基に制作されました。

小説を手掛けていただいたのは 、14万部を超え映画化もされた大ヒット作『明け方の若者たち』や、人気バンドとコラボした『夜行秘密』等で知られる人気小説家・カツセマサヒコさん!

▼企画

あなたの「忘れられない一杯」のエピソード募集! – SAPPORO STAR COMPANY | サッポロビール (sapporobeer.jp)

ぜひ公式ファンサイトSAPPORO STAR COMPANYでもお待ちしております!

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